「私は、制度というものを、ある種の考古学的な真理として捉えています」
故オクウィ・エンヴェゾーがキュレーションを手がけた2015年のヴェネチア・ビエンナーレにおいて、ジュート(黄麻)袋を用いた大規模なインスタレーション 《Out of Bounds》 (2014–15年)を発表し、世界的な脚光を浴びて以来、イブラヒム・マハマはその後の10年間で、ガーナを代表する現代アーティストとしての地位を確立してきた。この期間に発表された一連の作品において、彼は一貫して集合的記憶のメカニズム、並びにアフリカにおける貿易、移住、商業、植民地主義がもたらした影響と遺産を探求し続けている。これらの作品の多くは、日常的な素材 – とりわけジュート袋 – の使用が特徴だ。こうした素材は、流通ネットワークに介在した人々の存在と労働の痕跡を如実に示す一方で、作品が内包しているより大きな歴史的物語のなかでは、しばしば取るに足らないもの、あるいは「余剰」として扱われてきた。
こうした活動と並行し、作品が商業的成功を収めるようになると、マハマはその収益を「再分配」するプロセスにも積極的に取り組んできた。故郷タマレに 「サバンナ現代アートセンター(SCCA)」、「レッド・クレイ・スタジオ」、「エンクルマ・ボリニ (Nkrumah Volini)」を設立したのもその一環である。ロンドン、クラーケンウェルのセッションズ・アート・クラブでの個展の開催に際し、ArtReviewはZoomを通じて彼にインタビューを行い、その多面的な活動について話を聞いた 。本誌「Power 100」で彼が1位に選出される、少し前の出来事である。

ArtReview (AR): あなたの作品は、工業的な素材や、労働集約的な状況・プロセスを頻繁に参照しています。たとえば、ロンドンという文脈で開催されている今回の2つの展覧会を例に考えてみたいのですが、そうした素材を展示することは、異質な場所との間に、どのような共鳴を生むとお考えですか。
イブラヒム・マハマ (IM): 実に興味深い巡り合わせなのですが、たとえばイブラーズの展示空間について言えば、あの建物がアートセンターとして使われ始めたのは20世紀初頭のことで、ちょうどイギリス人がガーナで海岸鉄道を敷設していた時期と重なります。当時、ガーナはすでに世界有数のカカオ生産国でしたが、生産されたカカオの多くはイギリスによって収奪されていました。それらは当時、ロンドンをはじめとするヨーロッパの都市へと運び出されていたわけです。
もちろん、現在のイブラーズは、歴史への批評的な省察を許容する文化施設へと生まれ変わっています。ですが私は、そこに当時の史実の残滓、つまり鉄道に使われていた木材や、同時期にイギリス人によって作られた椅子などを持ち込むことで、私たちが生きるこの時代において必要な、新たな対話を喚起できるのではないかと考えたのです。
イブラーズでの展示は、観客が実際に使ったり座ったりできる参加型のインスタレーションのような設えですが、セッションズ・アート・クラブでの展示は、より視覚的です。絵画のように眺め、観る人なりの視点で解釈する作品と言えます。ここにあるのは、国内の物資輸送に使われエンジンオイルが染み込んだキャンバス地や、ガーナの北部と南部を行き来して雑多な仕事に従事する女性たちの腕を捉えた写真です。その中には、市場から家々へ荷物を運ぶ運搬人や、物資の運び出しを担う人々も含まれます。私は、こうしたイメージを植民地時代の地図やさまざまな物質的・視覚的な面と結びつけながら、「重さ」の歴史、人々にのしかかるその重荷について思考を巡らせてきました。
とりわけ私が関心を寄せているのは、作品の構成要素が持つ「残滓」としての性質です。西側諸国、とりわけロンドンに住み、世界各地から流通してくる商品や物資を日常的に消費している人々の多くは、それらが生み出される過程における労働や移動の履歴に深く思いを馳せることはないでしょう。だからこそ私は、そのプロセスの残滓を壁に掛け、見るたびにそこに厳然と存在させることが重要だと思いました。匂い、質感、触れれば手に汚れが移るオイルの感触 ー そうしたものが、この空間にあり続けることが重要なのです。

AR: セッションズ・ハウスのすぐ向かいには、ロンドンのメーデー(労働者の日) のパレードが出発するカール・マルクス記念図書館がありますね。
IM: マルクスは、私にとって常に非常に大きな存在でした。特に学生時代はそうでした。私がクワメ・エンクルマ科学技術大学(KNUST)で絵画を学んでいた頃、恩師の一人であるカリカチャ・セイドゥは、ある問いに並々ならぬ関心を寄せていました。それは、「いかにして芸術を 「商品」から 「贈与」 へと変容させうるのか」という問いです。
歴史的に見れば、多くの絵画は、搾取的・収奪的なシステムのもとに置かれてきた人々──黒人、貧困層、その他のマイノリティといった主体──を主題としてきました。しかし大学のカリキュラムは主に技術の習得に重きが置かれており、それだけでは、絵画という制度の内部で何が起きているのか、つまりその成立条件について思考する時間は与えられませんでした。だからこそ私たちにとっては、その「条件」から思考を始めることが極めて重要だったのです。そうした問いに向き合う際、マルクスのような思想家を避けて通ることはできません。それは同時に、芸術制作に伴って生じる感性や価値を、いかに再分配しうるのかという方法論を模索することでもありました。

AR: あなたは近年、アーティストには「再分配の中継点」として振る舞う責務がある、と論じていますね。
IM: 私たちにとって、再分配は極めて重要なテーマです。たとえば、20世紀返ると、初代大統領クワメ・エンクルマの存在を抜きに語ることはできません。彼はアフリカ統一と経済変革を夢見た若き化学者で、ガーナの工業化に尽力しました。国内初の大規模な水力発電ダムを建設し、極めて重要な「食糧配給公社」を設立したのも彼です。当時、非同盟運動の創設メンバーだったガーナが手本としたのは、キューバのような国でした。そこでは食料が共有財として扱われ、フードバンクに行けば誰でも食料を手に入れることができたのです。
こうして国は、植民地時代には恒常的に収奪されていた物資を国内に留め置くべく、流通・貯蔵施設の建設に乗り出しました。ところが1966年、和平仲介のためにベトナムを訪れていたエンクルマは、軍事クーデターによって失脚します。彼が着手したプロジェクトの多くはそのまま放棄され、後に食糧配給公社は 「元・食糧配給公社」 と改名されてしまいました。考えてもみてください。「元」ですよ。単にもう機能していないというだけでなく、まるで「そもそも最初から機能してなどいなかったのだ」と言わんばかりです。
自身の哲学を深めるにあたって、あの時代の歴史から学べることはたくさんあると考えました。食糧とは、単に口に入るモノのことではありません。それは思考であり、省察であり、理念なのです。私たちが歴史をどう消費するのか、それにどれだけ自覚的でありうるのか、そしてその歴史の内部に位置づけられている主体とは誰なのか ー そうした問いでもあります。だからこそ、再分配は重要なのです。私たちの共有された歴史や、文化的な 感性に付随するあらゆるものを、一体どのようにして再分配しうるのかという問いが、ここにあります。
AR: 再分配の話が出ましたが…今回のような展覧会や、昨年のバービカン・センターで行われた介入的プロジェクト 《Purple Hibiscus》 のような作品には、ある懸念を覚えます。それは、これらの展示が、ロンドンの人々に実際の再分配を迫ることなく、ただ彼らを気分良くさせ、抱いていた罪悪感を和らげるだけのものになってはいないか——という懸念です。アート全般が抱える問題かもしれませんが。
IM: アートは本質的に多くの矛盾を孕んでいます。私自身は常に、ある種のバランスを探り続けています。それは、作品制作をめぐる批評的な議論と、その作品の「出自」ー つまり、その場所の文化的風景の一部として作品が立ち現れることを可能にする条件 – との間のバランスです。ガーナにおいては、タマレでのレッド・クレイやSCCA、エンクルマ・ボリニといった活動、そして私が参加しているコレクティブ「blaxTARLINES」との実践が、まさにその出自にあたります。
バービカンに向けた作品制作にあたっては、ガーナの地で、地域コミュニティの人々と共に作り上げることが極めて重要でした。それと同時に、バービカンの建築史 ー 壁の質感や、あの荒々しい風合いを出すためにコンクリートがすべて手作業で削られた事実を含め – を作品に反映させることも不可欠でした。第二次世界大戦の出来事と関連づけて考えることも、重要な要素の一つです。
ロンドンでプロジェクトを行なって気づいたのは、「多くを語るべきではない」 ということです。実際、バービカンの一部の人々は展示を快く思わず、抗議の声も上がりました。 「なぜアフリカのボロ布やガラクタを、我々の建物に吊るさなきゃならないんだ」 と。しかし、その摩擦こそが、省察の機会を生むのです。社会の誰もが省察を望んでいるわけではありません。ですが、彼らの好むと好まざるとにかかわらず、そうした現実を直視することは時に重要です。帝国の歴史や諸々のことは、皆知っているはずです。それなのに人々は常に、自分とは無関係であるかのように距離を置きたがる。だからこそ、重要なのです。私たちがアートを作る唯一の理由 ー それは、世界を現状のままにしておくのではなく、なぜ再編すべきなのか ー その理由を人々に思い出させるためなのですから。

AR: アートには省察以上のこと、つまり、再分配において積極的な役割を果たすことができるとお考えでしょうか。政府が成し得ることに比べれば、美術展など些細な営みのようにも思えますが。
IM: 私が制作を始めた当初、意識していたのは 「アートワールドに内在する矛盾をいかに利用するか」 という点でした。制作活動によって生まれる資本を、教育機関や施設といった新たな文化インフラの構築へと転用し、人々の生活の質を変えるための手段とすることです。
そうした問題意識の背景には、私の故郷タマレの現実があります。タマレは、ほんの5年から10年前まで、現代アートとの接点がほとんど存在しない都市でした。私は、この街にアートとの関係性を築くことが非常に重要だと考えました。アーティストにとって、単に作品やインスタレーションを制作するだけでは、活動として十分とは言えません。また、長年活動する中で意識するようになったのは、私たちグローバルサウス出身のアーティストの作品のほとんどが、欧米の機関によって購入・収蔵されてきたという事実です。そもそも、多くのアーティストが欧米に拠点を置くことになります。
それはある意味、至極もっともなことでもあるのです。トレイシー・エミンやアントニー・ゴームリーのようにロンドンで活動する英国人アーティストであれば、アーツ・カウンシルやテート美術館が作品を収集するのは自明のことです。後世に残すべき遺産として、確実に作品を守ってくれるでしょう。もちろん、彼らは私やアモアコ・ボアフォといったアフリカの作家、あるいはアジアや南米の作家の作品も収集するでしょう。しかし、常に問われるのは 「どこまで収集する気があるのか」 という点です。結局のところ、それらのアーティストの大半は、彼らにとっての 「外部」 から来た存在にすぎないのですから。 「再分配」 の視点から見るとき、地元の人々 (特に若者や子供たち) が、これらのアーティストが作る作品と自分との関係性や、作品にまつわる批評的な言説をどれほど理解しているのか考えてみると、限りなくゼロに近いのが現実です。 依然としてある種の植民地的な歴史の流れ、とりわけ資本の問題に強く縛られているうちは、正義について語ることなどできないのです。

AR: そうなると、「ミュージアム」の定義そのものを問い直すことになりますね。 公的な国営機関が存在しない場所では、必ずしも恒久的な施設が必要とは限らないのかもしれません。あなたのインスタレーション作品の多くが、あえて永続性を回避している点とも重なり、非常に興味深いですね。
IM: 私たちが向き合いたかったのは、そもそも 「制度 (インスティテューション)」 とは何なのか、どのような形であるべきか、という根本的な問いです。私が現在活動しているこの環境において、制度は西洋とは 異なる形をとっています。ここでは、物事は必ずしも永続的である必要がないからです。制度のこの部分は恒久的だとか、ここは仮設でしかないとか、そんなことは本質的な問題ではないのです。ある制度の構造にとって最も肝要なのは 「その場所が私たちを歴史の深層へと導き、記憶を掘り起こさせてくれるか」 ー この一点に尽きます。
私は制度というものを、ある種の考古学的な真理として捉えています。若い世代が時間について、そしてその時間や世界の中での自らの立ち位置について、これまでとは異なるまなざしを持てるようにするための手段として、その形態が恒久的であろうとなかろうと、いかにしてある制度の構造が利用し得るか。私が思考を巡らせているのは、その点についてなのです。
AR: 歴史とは常に偶発的(コンティンジェント)なものだ ー そんな感覚があります。歴史とは、書かれては書き換えられ、時には完全に捏造されてしまうような、極めて不安定な代物です。 そうした感覚は、植民地支配を経て、つい最近になって独立国家としての形を整えた多くの国々 ー たとえば、私が今いるシンガポールのような場所では、特にそう感じられます。
IM: ガーナの歴史、そして我々が今まさに辿っている軌道について考えるとき、マレーシアやシンガポールとの関係性も深く関わってくると思っています。実は、1月にシンガポールで展覧会を控えているのですが、ガーナとシンガポールには、実に興味深い歴史的な接点があるのです。というのも、シンガポールの建国当時、ガーナは工業化を支援するために技術者を派遣していました。逆に、アジアから技術者たちがガーナへ渡ってくることもあったのです。

AR: ガーナがいかにして異なる地域と 「絡み合って」 きたのか ー そうした点についても、意識されているのでしょうか。
IM: ええ。たとえ大西洋奴隷貿易を抜きにしても、過去200年から300年ほどを遡ってみれば、異なる地域との 「絡み合い」 は数多く存在します。植民地時代には、ゴムをはじめとする植物や種がアジアなどから持ち込まれましたし、独立後も、その交流は続きます。技術者はソビエト連邦やマレーシア、シンガポール、インド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ポーランドへ派遣され、医師たちはキューバやロシアで研修を受けました。例を挙げればきりがありません。展覧会のためのリサーチを進めていると、こうした事実に遭遇し、それぞれの時代を生きた人々について知ることになります。そして、さまざまな仕事を通して、結果的に自由を求める動きに何らかのかたちで関与していたことが見えてくる。それが、実に興味深いのです。
AR: もし、あなたの作品を前にした誰かが、純粋に美的な観点からしか反応しなかったとしたらどうでしょう。ただその質感や素材に惹かれるだけで、それ以上深くは踏み込まなかったとしたら。そのことに、失望を感じますか。
IM: 制作に取り掛かるとき、こうした歴史への思考が先にあるわけではありません。ガーナの市場を歩き、こうした素材を目にしたとき、真っ先に惹かれるのは、やはりその質感や、基本的なフォルムです。素材とじっくり向き合い、年月を重ねる中で、その歴史や、それがいかにして私の活動拠点に持ち込まれたのか、そしてそもそもどこから来たのか ー そうしたことを、素材そのものから学んでいくのです。実は明日、コチ・ビエンナーレに参加するため、インドのコチへ発ちます。私が長年扱ってきた素材の多くは、もともとインドやバングラデシュから来たものです。今回、初めてインドを訪れます。ですから、その原産地という文脈の中で素材を扱うのも、私にとっては初めての経験です。
イブラヒム・マハマの作品は、ロンドンのセッションズ・アート・クラブにて2026年初頭まで公開されている。また、同地イブラーズでの個展 「Parliament of Ghosts」 は2月15日まで開催中。この他、第6回コチ=ムジリス・ビエンナーレにも参加している。
インタビュー=マーク・ラポルト (翻訳=Art Translators Collective)
