巡回展「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」を起点に、美術批評家・沢山遼が展開する考察とその射程。
1950年代から60年代にかけて、戦後日本には、新進の女性の美術家たちが多く誕生した。彼女たちを後押ししたのは、フランスの批評家ミシェル・タピエが先導した「アンフォルメル」などの抽象表現の展開である。日本の美術家は、「アンフォルメル旋風」とも呼ばれるこの国際的な美術運動に巻き込まれるなかで、自らも積極的に国際的な抽象芸術のネットワークのなかに参画していこうとした。その代表的な運動に「具体」がある。「具体」にも白髪富士子、田中敦子、山崎つる子などの女性の作家たちが参加していた。
アンフォルメルの台頭にわずかに遅れて日本で注目されたのが、同時代のアメリカ抽象表現主義である。抽象表現主義に見られる身振りや行為の痕跡としてのあり方は、「アクション・ペインティング」とも呼ばれた。抽象表現主義の作家のほとんどが男性作家であることもあり、「アクション」は、そこに潜在するマチズモを象徴するものとして後に批判的に検討されることになる。
西洋から日本に導入されたアンフォルメルと抽象表現主義は、この行為(アクション)と物質との遭遇およびその対立の弁証法的止揚を全面化することにおいて共通する。が、男性性をはらむこの図式に回収しえない仕事を行なっていた女性の作家たちは批評的言説からこぼれ落ち、しだいに歴史の表舞台からその姿を消していった。
「アンチ・アクション」とは、同名の書物(『アンチ・アクション―日本戦後絵画と女性画家』 2019年)において、著者の中嶋泉が、三人の女性の美術家、草間彌生、田中敦子、福島秀子の作品の特質として名指したものである。彼女たちの作品にあるのは、「アクション」への批判(批評)であり、抵抗であったという。本展は、同書の「アンチ・アクション」概念から、その範囲を田部光子らさらに多くの作家たちに拡張し、戦後日本の女性の美術家たちの仕事を検証するものである。
実際、草間や田中、田部らの作品には、アンフォルメルや抽象表現主義ではなく、その後に展開したポップ・アートやミニマリズムに見られる反復という手法が顕著である。いやむしろそれ以上に、ミニマリズムの単調化(純粋化)された形式主義に対して、現実の物質の可変性や個別性、精神や身体の葛藤を導入したポスト・ミニマリズム、さらに、60年代の抽象芸術にフェミニズム的な解釈を加えたルーシー・リパードが名指すところの「エキセントリック・アブストラクション」と並行している(実際、リパードは草間を「エキセントリック・アブストラクション」の作家として位置付けている)。その意味で彼女たちの仕事は、アンフォルメルや抽象表現主義「以後」の展開を捉えていた。

つまり、彼女たちの実践は、アンフォルメルや抽象表現主義の先の展開を予見し、そこで実践されるさまざまな批評的可能性を示すものであったといえる。
同じことが福島秀子と彼女が参加していた実験工房にもいえる。瀧口修造を中心として興った実験工房は、瀧口が参照していたのが文学と美術を架橋するシュルレアリスム運動であったこともあり、音楽家と美術家を架橋するインターメディア的な集合体だった。それは50年代以降にアメリカで展開した、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズのネオ・ダダと並行し、また、60年代にジョン・ケージやラウシェンバーグらが関わったE.A.T.の実践に先行している。
実験工房は、アンフォルメルや抽象表現主義にあったような、作品や物体(物質)、あるいは主体の身体や身振りの痕跡といった一次的な要素、すなわち物質や主体の「現前」を積極的に斥け、むしろ、記譜(ノーテーション)、模型(モデル)、写像を重視した。ゆえに実験工房では、ネオ・ダダやE.A.T.がそうであったように、写像関係を通した諸要素の反復や転写が見られるのであり、そこで中心となったのは、絵画や彫刻ではなく、舞台芸術であり、音楽であり、版画だった。その意味で実験工房は、戦後日本美術を代表する運動として欧米圏で評価されてきた具体やもの派の依拠する理論的な枠組みを(彼らに先行して)批判していたのである。
福島秀子の作品は、この点で実験工房のほかの作家たちと多くの問題を共有している。彼女が重視したのは、円などの同一形を画面に押し付けるスタンプの技法であり、そこでは事物や行為の一回性は斥けられ、転写、写像関係によって像は何度でも複製可能である。この時、スタンプは出来事を再生可能にする版=記譜として機能する。

「アンチ・アクション」という概念に置き換わる枠組みをもって、この展覧会の作家たちに通底する特質を名付けうるとすれば、それを「現前性批判」と呼びうるだろう。田中敦子の絵画は、もとは《電気服》の配電図や電信ネットワークに由来するものであり、それは電気という見えないエネルギーの配置、交換を可視化する。ゆえにその絵画は、非空間的でダイアグラム的なネットワーク、交換台として機能する。
この点で興味深いのが、赤穴桂子の絵画(作品名不詳、1964年頃)である。赤穴の絵画は、福島と同じ「版」を活用し同一形(円形)や黒と赤の丸を写像として転写・反復するのみならず、黒い丸と並行して同一形の赤い穴を開けることで、形態の実と虚を反転―交換可能なものにしている。
その意味で赤穴の絵画は、ゾフィー・トイバー=アルプの《彩色された木のレリーフ》(1938年)と同じ問題系を共有している。ゾフィーのレリーフでは、円形を三次元的な円筒として画面から突出させると同時に、同じ円形の穴を画面に開けている。三次元と二次元、実と虚という異なる性質をもつ円形は、一つの画面のなかで交換可能なものとして示される。
田部光子の《作品》(1962年)は、熱したアイロンを何度も繰り返し画面に当て、画面を焦げつかせることによって同一形の反復をつくる。このような行為の繰り返しは、英雄的な身振りや行為の一回性に対して、家事労働がもつ反復的な運動性を対置するものだろう。

このような仕事と対比されるものとして、中嶋による本展カタログの論考の冒頭で「ぼくの行為を見てほしいんだ」と「行為」への切迫した感情を吐露する篠原有司男の発言が引用されることには妥当性がある。たとえば、モヒカン刈りで激しく男性的な格闘行為を行う篠原のボクシング・ペインティングは明らかに男性的であり、一見すると田部のアイロンとは対極にある。
が、同時に篠原のボクシング・ペインティングは一方で、「アンチ・アクション」としても読まれうるはずだ。篠原のボクシング・ペインティングは、ボクシング・グローブの同一形を繰り返し画面にスタンプするものであり、それは、彼が関心を抱いていたラウシェンバーグやジョーンズらのネオ・ダダにおける版表現の重視と関心を共有していたからである。たとえば、ジョーンズは自らの身体を版=印章として画面に押し当て作品をつくっているが、これと同じ思考が篠原の画面にも見られるということだ。ボクサーの拳の痕は、力士の手形と記号論的には同じ指標記号に分類される。篠原の絵画は、同時に「アクション」と「アンチ・アクション」を交差させる。その仕事は、抽象表現主義やアンフォルメルの現前性を強調すると同時に、自らの身体を版として用いることによる現前性批判を遂行する。
篠原を例に出したのは、いずれにしても、女性/男性、アクション/非アクションという区分を超えて、アンフォルメルや抽象表現主義、具体やもの派に共通する物質と身体(主体)の現前への信仰(現前性信仰)が解体されなければならないと考えるからである。現前性信仰こそ、戦後美術を長らく拘束してきたものにほかならないからだ。歴史は勝者によってつくられる。日本戦後美術も例外ではない。だからこそ、福島秀子のような作家の実践を検証することは、今後よりその重要性を増すだろう。
「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」展は、2025年12月16日―2026年2月8日まで、東京国立近代美術館にて開催されている。その後、兵庫県立美術館へと巡回予定。
沢山遼:美術批評家。著書に『絵画の力学』(書肆侃侃房、2020)。共著に『現代アート10講』(田中正之編著、武蔵野美術大学出版局、2017)などがある。本テキストにて言及された実験工房の文脈については、以下の文献でも簡略的に述べられている。沢山遼「記譜と写像の工房」『美術手帖』2013年3月号、206-208頁
