2025年11月、ニューヨークを拠点とする写真雑誌および写真出版を手がけるApertureより写真家であり批評家であった中平卓馬による初の英訳評論集が出版された。収録されているのは中平が70年代に執筆した11篇のエッセイである。私はこの本に共同編者・翻訳者として携わったこともあり、英語圏の読者にこれらの文章がどう受け止められるか楽しみにしている 。だが同時に私の中に繰り返し立ち上がる根本的な質問がある:2026年に中平卓馬を読む意義とは何なのか?
以下ではこの問いに応答するため、中平における政治性の可能性を検討していく。
中平卓馬は東京生まれの写真家であった。海外における知名度はやや高いが、それは主に森山大道も参加した、1968年から1969年にかけて出版された同人誌『プロヴォーク』のメンバーとして認識されているからである。当時彼が撮った激しいモノクロの写真を好む観者が多いように思う。しかし個人的には、この種の写真は長く見続けるうちに、その強度が次第に均質化してしまう印象を拭えない。『プロヴォーク』の直後に作った《サーキュレーション》(1971)という観念的な作品や、晩年の鮮明なカラー写真の方に、より重要な転換を見るべきだろう。

いずれにせよ、中平は70年代、写真活動と並行して多くの文章を書いた。それらのテキストは時に自作品を厳しく批判し、現代美術や音楽、さらには映画にまで及び、様々なメディアを政治的、歴史的文脈の中に位置付けた。そこからは、当時新宿を中心に形成されていた前衛文化の共通意識も伺える。例えば彼は、ジャン=リュック・ゴダールや1960年安保をたびたび参照し、「第三世界」に対する共感を繰り返し表明している。いわゆる「政治の季節」に相応しく、同時代の吉本隆明、松田政男などの名もしばしば現れるが、とりわけチェ・ゲバラ、ヘルベルト・マルクーゼ、アラン・ロブ=グリエ、ヴァルター・ベンヤミン、フランツ・ファノンなど、海外の思想家・作家の名前が多く並ぶ点は印象的である。このような男性性の名前の連なりそのものから、当時の政治的な空気は十分に読み取られるだろう。
中平の文章はもちろん、「直接的」な政治性の側面も持っていた。1968年に中平は既に30歳であったが、世界中の学生運動に関心を寄せ、執筆を通して南米やアフリカで起きていた反帝国主義闘争の支持も表明している。だからこそ世界的にファシズムが台頭するこの2026年に、彼をあらためて読み直す意義があると言えるだろう。中平はまた、日本の帝国主義にも強い関心を抱き、それを「過去」のものではなく現在進行形の現象として語った。そこで沖縄は彼にとって大きな存在であった。
沖縄は中平にとって写真と政治が重なる場所であった。「記録という幻影」というエッセイで中平は「松永優事件」について書いている。1971年11月10日、沖縄全土で14万人以上が参加した、返還協定批准阻止を訴えるゼネラル・ストライキに参加した当時20代の松永優は、新聞に掲載された写真だけを証拠に殺人罪で逮捕・起訴され、懲役1年、執行猶予2年の判決を受けた。検察側は写真の客観性を全面的に主張した。これを見て中平は写真のあり方を危機的に捉え、松永を支援する市民運動に参加するため沖縄に行った。中平曰く、この事件は、写真が持つある程度否定しがたい客観性が社会的神話化し、司法の領域へまで拡張されていく過程を示していた。神話性を帯びた客観性は、新聞写真を権力の武器に変容してしまうのであった。
中平は写真そのものだけでなく写真家の在り方にも強い危機感を抱き、継続的に分析を試みていたが、ここにこそ中平の批評のより広い政治性の可能性が見出せる。中平自身には、間違いなく英雄的な男性性を理想化している側面があったが、彼の写真家のありさまに関する批評はそのような価値観を超越する可能性を孕んでいた。政治性とは、世界的あるいは歴史的な文脈にあらかじめ与えられるものではなく、むしろ我々の身体そのものに宿るものである――それが中平の根本的な考えであった。
1969年に発表したエッセイ「同時代的であることはなにか?」の中で、中平は「政治的な」写真を問い直そうとしていた。写真界ではリアリズム運動があったが、中平はその正義的写真の理念に反発した。社会的リアリズムを撮っていた写真家達の立場へ反応したという方が適切であるかもしれない。彼らの「安定した視点」を批判しながら、中平はこう書いた:「沖縄を、飢えを、戦争を、ステューデント・パワーを見る自らがけっしてその渦中にはないのだという安心感。そこには危機的な状況を生きる自らの存在論的把握が皆無なのだ。それはただ物理工学的なカメラアイであるか、あるいは現世を断ち切った神の眼とでも言うべき視点があるにすぎない。」沖縄や戦争や学生運動という状況に対して、中平が「危機的」だと考えていたのは写真家の立場である。つまり、世界から「断ち切られた場所」に立つか、「その渦中に」立つかという問題である。
科学史家ダナ・ハラウェイは「状況に置かれた知 :フェミニズムにおける科学という問題と、部分的視角が有する特権」という1988年の論文で、科学をフェミニズムの視点から批判した。この文中でハラウェイは「神のトリック」という概念を展開したが、これは意外にも中平の言論と似ている。「神のトリック」はのちに名言になったが、より正確には「全てをどこにもない場所から視るという神のトリック」になる。ハラウェイの批判の対象は、まさにこの「どこにもない場所」であり、それは白人男性科学者が、自らの身体的・社会的な位置を不可視化し、「どこか」に位置付けられた身体を持たないかのように振る舞う姿勢にほかならない。彼女は「フェミニストの客観性は位置付けられた知識である」と述べ、客観性そのものを徹底的に問い直す。 「位置付けられた身体からの視線」こそが、ハラウェイの論点なのだ。

写真を考え直そうとした中平は、1973年の「なぜ、植物図鑑か」というエッセイの中で「見ること、それは身体と切り離したところでは成立しない」と書いた。そして「見ること、それは自己を他者の視線にさらすことでもある」と主張した。中平は決してハラウェイが展開したようなフェミニズムを体現していたわけではないが、両者が政治性の可能性を身体自体にあると論じたことは事実である。結局のところ、ハラウェイも中平も「政治」を身体と場の関係性に見出したのであった。
中平卓馬の反帝国主義思想が現代に適応できることは明白であるが、中平の展開した身体論、すなわち身体の位置は「他者」と接続する場所だという思想も現代の政治に関連する。写真はとかく正義に満ちた「真実」を捕らえる媒体として解釈されるが、半世紀前に中平はすでに「記録という幻影」を唱えていた。写真を、世界を記録するための手段ではなく、写真家自体を世界の前で無防備にさらすための方法として解釈した。無防備にさらされた写真家は権力を放棄し始める。ここで初めて、中平は、写真を写真家と他者の関係を可能にする手段として論じたが、このごく小さな関係性にも「政治性」が宿るのではないか。現代の日本においても、また英語圏においても、このような思想はいまだ十分に有効であろう。
At the Limits of the Gaze: Selected writings by Takuma Nakahira, edited and translated by Daniel Abbe and Franz Prichard, Aperture, 2025.
ダニエル・アビーは京都を拠点にする美術史家。テンプル大学ジャパンキャンパス京都、大阪芸術大学 芸術学部 文芸学科 非常勤講師。
All photographs by Takuma Nakahira © Gen Nakahira, courtesy of Osiris
