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生の基礎平面として床を捉えなおす

Floor preparation (Twins1+2) (部分)Courtesy of 18, Murata

floor(床)の語源は古英語のflōrであり、古くはゲルマン祖語のflōruz(平らな面、場所)に由来する。もともとは「人が歩くための平らな面」、つまり地面全般を指していたが、15世紀頃にfloorが「床に設置する」という動詞を意味するようになり、自然の地面と人工的に敷かれた内装の床の区別が発生したようだ。日本語でいう床(ゆか、とこ)もまた、中国語で「寝台」を表す漢字に由来するとされ、諸説はあるものの、かつては「止処(とこ)」「住まい止(とど)まる場所」といった意味を持っていた。こうした語源を辿ると、「地面とは別の階層をもった領域」「人間が快適に過ごすために整えられた任意の区画」としての床のイメージが掴みやすくなってくる。私たちは普段、生活のなかで床の存在を積極的に意識することはないが、生活様式や習慣ばかりでなく身体の所作や感覚までに影響を及ぼす床は、いわば「生の基礎平面」として私たちの暮らしを方向づけているのだ。

手前)Floor preparation (Twins1+2) 20+16 pieces of plywood, pigment stain, urethane, 900×1800×450(mm), 2025
左奥壁面)Floor preparation (Twins2), 3 pieces of plywood, pigment stain, urethane
225×675×9(mm), 2025, Courtesy of 18, Murata

18, Murataで開催されている森岡美樹の個展「Twins from nursery」は、まさに「生の基礎平面」としての床がもつ潜勢力を可視化するものだった。以前から宗教施設や教育施設の床が人に与える影響に関心を持ち、リサーチをつづけてきた森岡が、さまざまなメディアの実験を経てふたたび「床」というモチーフに立ち返ったのが今回の展示である。 ギャラリーの床面に敷かれているのは、黄色く塗装された複数枚のベニヤ板による作品《Floor preparation (Twins1+2)》だ。敷き詰められたベニヤ板はギャラリーの床面積のほぼ1/2を占める。ベニヤ板の側面は溝が彫られ、実(さね)と呼ばれる突起が取り付けられているため、各パーツはこの突起を嵌め込んで自在に接合/分離できる。板のサイズや縦横比率は一律ではなく、正方形と長方形、そして大小の違いがある。また、板と板の接合部に生じるスリット状の溝も+(プラス)をはじめとして多様なパターンがあり、その凹凸のリズムによって造形の機微を生み出している。森岡が手掛ける「床」は、組み合わせ次第で別様のユニットを形成しうる展開可能性をもっているのだ。創発性を備えたこの「床」が、建築資材としての一般的な「床」よりも子ども向けの玩具を連想させるのは、基本単位としての一枚の板が、シンプルながらに接合/分離の応用を促す仕組みを内包しているためかもしれない。

Floor preparation (Twins1+2) (部分) Courtesy of 18, Murata

加えて森岡の「床」は、「床」の概念を拡張しうる可能性を秘めている。スリット状の溝に板を垂直に嵌め込むことにより、立体的な構造を立ち上げることが可能なのだ。地べたから段々とレベルを上げていくこの設えによって、大きい構造体はテーブルに、小さい構造体は椅子に見立てられるだろうし、大きいテーブルに比して小さめのテーブルを座卓と見做すこともできるだろう。最小限の仕掛けではあるが、こうした「床」のアレンジメントは、ただの棒を馬に見立てて乗馬遊びに興じる子どもの想像力に連なる質をもつ。しかもここには、椅子に腰かける、床に直接座る、あるいは寝そべるといった、異なる体位、異なる生活スタイルを受け容れる余白が保たれている。床がテーブルになってもいい、椅子になってもいい、あるいは地面から生えたキノコに見立てられてもいい──というふうに、自由な連想を促すミニマムな形態。そして、イメージの投影を受け容れるのに十分な、手つかずの余白をもつ寛容な空間性。森岡の「床」が展開させるのは、単なる造形的な組み合わせのパターンだけではない。そこから育まれるのは、人間が生きる場所とそのための道具をめぐる原初的な想像力であり、この点において森岡の作品は無機質なミニマル・アートと一線を画すのである。

板を塗装するにあたって、黄色が使われている意味も考えてみたい。生後2、3ヶ月の幼児が最初に認識する色彩は赤であり、次いで黄色や緑などの原色が見えるようになるそうだ。自身が子どもの頃に受けた幼児教育から制作の手掛かりを得ている森岡が、子どもにとって親しい色彩である黄色を選択した可能性は十分に考えられるのではないか(かのカンディンスキーも、著書『回想』のなかで、子どもの頃に強烈な印象を残している色彩として黄土色(イエローオーカー)を挙げている)。むろん、黄色の色彩が木材の風合いと馴染みやすいという理由もありうるだろう。黄色の塗料によって木目を美しく引き出し、自然と人工の融合ともいうべき面を成す森岡の「床」は、視覚の対象として客体化され、凛とした造形物の佇まいを示すと同時に、鑑賞者の身体に眠る記憶へと働きかける作用をもつ。

Floor preparation (Twins2), 3 pieces of plywood, pigment stain, urethane
225×675×9(mm), 2025, Courtesy of 18, Murata

視線を床から壁に転ずると、ベニヤ板をタイル風に連ねた《Floor preparation (Twins2)》が絵画の小品のように展示されていた。いわば、壁に掛けられた「床」である。ふと、本展のタイトルの邦訳が「保育園の双子」であることを思い出す。私たちの生活空間を囲む床と壁、相似的な関係を切り結び交換可能性をも備えたふたつの境界面は、同じ遺伝子を宿した双子として互いの存在を補完しあっているのかもしれない。森岡の今後の作品において、床≒壁のさらなる成長が気になるところである。


森岡美樹「Twins from nursery」は、2026年1月24日〜3月21日まで、18, Murata にて開催されている。


中島水緒:美術批評。主な近年の執筆に「前衛・政治・身体──未来派とイタリア・ファシズムのスポーツ戦略」(『政治の展覧会:世界大戦と前衛芸術』、EOS ART BOOKS、2020)、「無為を表象する──セーヌ川からジョルジュ・スーラへ流れる絵画の(非)政治学」(『美術手帖』2022年7月号)など。

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