『クイーンダム/誕生』は2023年に発表された、撮影当初21歳のクィア・パフォーマンス・アーティスト、ジェナ・マービンを追ったドキュメンタリー映画である。監督はロシア出身、フランス在住のアグニア・ガルダノヴァ。ジェナも同じくロシア出身、現在はフランス在住であるが、撮影当初はモスクワから一万キロ離れた田舎町マガダンに祖父母と共に暮らしている。ジェナのアートの媒体は自分の身体であり、そのスタイルはドラァグである。映画の中でジェナはドラァグを装った自己呈示を政治的、そして文化的抵抗として展開している。変身の手法は驚くほどDIYだ。衣装と言ってもビニール・テープを身体中に巻いただけだったり、低予算の中で高度な創作性と工夫が繰り広げられているため、その活動をパンクな行動として位置付けたくなる。
今更ではあるが、マガダンでも東京でも社会では多大な同調圧力が働き、規範的影響が「普通」という概念を作り、差異や多様性を抑制する。それらは「マナー」として喚起される時もあれば「民意」として定められる事もある。「クィア」という言葉を固定的に定義するのは非クィアになってしまうが、クィアとは単に性的嗜好を示す言葉ではなく、異性愛規範に違和感を感じ、セクシャリティーの区分化を拒否し、セクシャリティーを嗜好に限られず、政治化された問題として捉え、異性愛規範を攪乱する自らの立場を指す言葉だと思う。異性愛規範には異性愛に留まらず、姓、男性性と女性性、生殖-労働者の再生産-生産性、結婚制度、家族制度、家父長制、財産相続、国家主義などありとあらゆる規範と連鎖しており、政治的にも社会的にも保守的であり、匿名性の低い田舎町で(都会でも)クィアな自分を開示することには、多数派の価値観、人生観に中指を突き立てることになるので、危険が伴う。

『クイーンダム/誕生』はジェナの様々な日常的かつ非暴力的抵抗活動を記録する。抵抗の結果、ジェナはスーパーマーケットから追い出され、隣人に暴力を振るわれ、ロシアによるウクライナ侵攻に反対するデモに参加した際に、遂に逮捕されてしまう。このままでは、抵抗弾圧手段として国家に徴兵され、殺されると察し、ジェナは国家抑圧装置から逃れるため、生き続けるために、フランスに亡命する。監督にも主演者にも予期できなかった、プーチン政権下のロシアによるウクライナ侵攻の始まりは、日常的な、反復によって権威を得る同調圧力と規範的影響の延長に戦争という最悪の暴力があることを明確に表しており、この事実は排他主義が台頭している日本の生活者も熟考すべきであろう。
ジェナの抵抗はとても絵になる。ガラガラの遊園地で金紙で覆われ、グッタリと脱力した身体を半分に折ったまま、色鮮やかに塗装された空中ブランコにグルグルと振り回されるジェナ。ファミレスや倉庫型スーパーと同じく、家族を対象にしている為、異性愛規範の象徴と解釈できる遊園地と対照的に映るクィアな身体。街中でモブと逆の方向に歩く姿。大野一雄の様な弱さを剥き出しにした動き。リー・バウリーを彷彿とさせるメイク。レベッカ・ホーンの《フィンガー・グローブス》(1972)によく似た義肢装具。これらの演出は分かりやすく、印象的である。しかし、それらの自己呈示にはイメージとして切り取られる期待が強く感じられ、アテンション・エコノミーのために作られたインスタグラムやTikTokといった短尺メディアの様式も内在化されているように見える。ジェナはアテンション・エコノミーとギグ・エコノミーの中でアルゴリズムを相手に投機的労働をさせられている、文化労働者であり、ジェナに向けられた暴力は国家のものだけではなく、後期資本主義に由来するものとしても受け止める必要があるだろう。
残念ながら、ジェナの労働者としての自意識は低い。私にとっては逮捕よりも衝撃的なある一シーンで、ジェナはファッション誌Vogueの撮影に参加したと電話越しに祖父へ報告する。祖父に報酬が幾らだったのか訊かれ、ジェナはその質問自体が古臭いかのように、報酬はなかったけど将来の仕事につながる貴重な機会だったと説明する。正にイデオロギーが、労働者として搾取されていることを見えなくしている瞬間だ。
現時点クィア・ドラァグ・アーティストとして国家に抵抗している、本作品の観者は少数であろうが、規範に違和感を感じ、SNSや広告によって自己肯定感を蝕まれ、労働を搾取されている観者は大多数であるはずだ。本作品がその状況に相応の怒りを持ち、自己の問題ではなく、戦うには連帯を要する構造的暴力の問題であることを認識する機会になるよう願う。
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『クイーンダム/誕生』監督:アグニア・ガルダノヴァ
製作:イゴール・ミャコチン、アグニア・ガルダノヴァ
主演:ジェナ・マービン
2023 年 | フランス・アメリカ | ロシア語 | 91 分 | シネスコ | カラー | 5.1ch | 原題 QUEENDOM | 日本語字幕 浅野倫子 | 配給 Elles Films | 協力 吉森崇夫
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