1937年、大阪市生まれの松谷武判は、1960年代初頭に具体美術協会に参加し、1966年に渡仏して以降、パリを拠点に活動を続けている。ビニール接着剤を用いた独自の表現などで国際的に知られ、60年以上にわたり制作を展開してきた。2024年には、東京オペラシティ アートギャラリーにて大規模な回顧展が開かれ、現在はロンドンのHauser & Wirthにて、同地では約10年ぶりとなる個展が開催されている。ArtReview Japanese Editionはこの機会に、近年の関心や制作を支える感覚について、松谷に話を聞いた。
松谷は非常に穏やかな物腰の人物であるが、言葉の行間からは、彼の制作の基盤となっている強い個人主義——すなわち直感と行為への信頼——が感じ取れた。インタビューのある場面では、彼の言葉がW・H・オーデンの一節「Leap before you look(見る前に跳べ)」を思い起こさせた。このフレーズは、松谷と同世代である大江健三郎が1974年に刊行した短編集のタイトルとしても知られている。また彼は、具体美術協会の創設者である吉原治良がメンバーに求めた有名な言葉、「誰もやらんことをやれ」にもたびたび言及した。こうした要請は、松谷の制作にとってきわめて生産的な刺激として働いてきた。
さらに彼の制作の方向性を形づくった契機として、二つの出来事が挙げられる。一つは、神戸大学の研究室で、友人が顕微鏡を通して人間の血液細胞を見せてくれたこと。そしてもう一つは、木工用ボンドが一般に広く流通するようになったことである。これにより、合成素材でありながら有機的な外観を持つ形態を生み出す松谷の作品が可能になった。それは皮膚を思わせ、身体を連想させるものでもあり、一見すると抽象的に見える彼の作品に、独特の身体性を与えている。
AR:2024年、東京オペラシティ アートギャラリーで200点以上もの作品が紹介された大規模な回顧展「松谷武判 Takesada Matsutani」が開催されました。それ以降、今回のロンドンでの個展に至るまでのあいだ、制作の面で何か変化はありましたか。
松谷:まず、初期から現在に至るまでの時間の流れがありますね。それを回顧しながら新しいことをやるつもりで、いつも制作しています。ただ、新しいものっていうのは未知のものですから、やはりつくってみないとわからない。フランス語では「イマージュ」って言いますけれど、制作の方向とか構想をいろいろ考えながらも、私は幾何学的なことはできないですから、根本的に、有機的で可能性のある、そういうイメージ・心象風景を求めているわけです。顕微鏡の世界とかそういうものは、今も心象イメージになっておりますね。それはずっと変わりません。ただ、最近は色を使いたくなりました。これまでは白黒が多かったですけれど。

AR:ロンドンの個展では紫色が印象的に用いられていますが、この色彩の導入は、制作の中でのどのような変化から生まれたのでしょうか。
松谷:これまで鉛筆で白黒を何十年とやってきたので少し退屈になってきたところもありましてね。たまたま立体的な形をつくる際に、ボンドにあの紫系を混ぜてみたんです。それで、ふくらましたり切ったりして。方法としては今までと同じなんですけれど、新しい創作は常に念頭に置いています。心象は絶対に壊さないようにしながらも、新しい方法論として別の色を使ったり、有機性をもう少し強調したりしています。
AR:長く続けてこられたグラファイトによる制作は、現在の色彩の使用とどのような関係にあるのでしょうか。
松谷:色彩については、直感が大きいですね。紫系を選んだのも、制作時間の中で、その紫が綺麗だなあと感じたんですね。まあ、単純な言い方かもしれませんけど。
グラファイトについては、私はもともと日本画をやっていましたので、墨などには子供の頃から親しんできました。ですから黒に対して敏感なところは、日本人として、東洋人として生まれた自分の体にあると思います。ただ、回顧的にそれを、あまりセンチメンタルに扱おうとすると失敗しますんでね。その中で新しいことをやるということで、鉛筆を選び、10メートルとかいろんな長いドローイングを作ってきました。でも、だんだん少しマンネリ化というか、繰り返しのような感じがしてきたんですよ。

その時に、もともと手がけていた三次元、あるいは四次元的な立体の上に塗ったらどうだろうと思いつき、ボンドの上に塗ってみたんです。でも、木工用のボンドはつるつるして鉛筆がのりませんから、下に緑とか紫とかのアクリル系の色を塗って使いましてね。それを融合させるまでには長い時間がかかりました。始めた当時は時間もたっぷりありましたので、制作しながら、自分自身といろんな問答を重ねて進めていました。10年ぐらいかかって、ようやく融合するところにたどり着いた、というところが本音ですね。
AR:今回の新作でもボンドが使用されていますが、松谷さんにとって素材はどのような可能性を持つものでしょうか。
松谷: 今使っている木工用ボンドは、50年代の終わりから使い続けています。それをいろいろに加工してきました。私は平面作家ですけれど、三次元的な、あるいは四次元的なものを、平面でありながら立体として扱っています。
具体の時代に、吉原治良から「誰もやらんことをやれ」と言われましてね。たまたま戦後にボンドを製造する会社が出てきた頃で、直感的に「これは誰もやってない」と思ったんです。そういうのを使ってなんか三次元なことができないかと、考えていました。天気の良い日に外に行ってボンドを流すのですが、ボンドっていうのは水性で、外側が乾いてくると、表面に人間の肌のようなものができていって、それがなかなか面白いなと感じましてね。ただ、自然の空気っていうのは、天気のいい日もあれば雨の日もありますから具合が悪い。それで扇風機やヘアドライヤーを弱く当てて乾燥を調整していけば完全に乾きますからね。室内でやることである程度、大量生産って言えば失礼な言い方ですけれども、いろいろ作れるような、技術的な方法を考えていったわけです。
油絵の具でも彫刻でもそうですけど、多くの作家は自然由来の素材を使っていますけれどね、私の場合はボンドですからね。自然のものとは言えないかもしれませんが、自然との関係性はあると思っています。
AR:素材と支持体の関係に関しては、どのようにお考えでしょうか?作品によっては、その関係が逆転しているようにも感じられます。

松谷:常識的に考えたら、紙やキャンバスがあって、その上に平面として描く。彫刻は別として、我々の頃にはオブジェと言うんですかね、立体的なものを指す言葉が出てきました。今で言うインスタレーションのようなものの走りを、50年代の後半には既にやっていました。その影響もあって、「これは何々だ」というカテゴリーに囚われること自体から離れて、もっと自由に作りたいとは思っています。だから、日本画の絵の具を使ったり、木を使ったり、紙を使ったりもします。そうやって世界を広げていくことが大事なことだと思いますね。何気ない木の切れ端でも、古い広告の紙でも、そういうものを違った次元にしていく。それが我々のグループ・具体の趣旨でもありましたから。具体というのは、理屈を並べるよりも、まずやってみたらええやないか、というようなグループでした。 理論は持ってるんだけれど、まず作ることが先だという姿勢ですね。60年代にヨーロッパに来た時、一番驚いたのはそこでした。美術館に行くと、こちらではそういう作家がごまんといたんですよ。「ああ、世界は広いわ」と思いましたね。日本では当時、東京と大阪で線を引くようなところもありましたからね。「東京のやつは理屈ばかり言っとってあかんで」なんて言いながら。でもヨーロッパに来て、そういう状況を目の当たりにして、唖然としました。そういう時代でしたね。
AR:ところで、これまでのインタビューなどで、ご自身の制作に影響を与えた作家の一人に、安土桃山時代の絵師、長谷川等伯を挙げていらっしゃいますね。
松谷:全体ではなく、その長い一部分しか見ていませんけれども、等伯の《松林図屏風》は、余白を本当にうまく使っておられるんですね。あの松の枝の流れというんですか、余白の使い方と自然の光の変化の捉え方には影響を受けました。
墨についてお話をすると、先にも少し話に出ましたが、墨には子供の頃から習字とかいろんなことを通して慣れ親しんでいました。そういうところから、墨の延長として鉛筆を使い始めたんです。グラファイトで塗って埋め込むようなことをしたらどうなるかな、という考え方から、例えば《流動》シリーズは始まっています。 60センチ×10メートルぐらいの帯状の紙に描いたものを、知人や友人が見て、「松谷さん、これはどういうことですか」と訊くわけです。僕は、時間はたっぷりあるし、その時間を埋めるように毎日、日照時間のあいだ描いたんです、と答えた。すると、「紙は終わるけれど、最後どうするんですか」と訊かれてね。じゃあ、そこへテレピンを流したらどうなるだろう、と考えましてね。そうすると、あの紙がずっと、別の空間に行くような感じになるんです。

AR:そうした「別の空間に行く感じ」のような体験も含めて、制作の中でご自身の主体的な感覚はどのように働いているのでしょうか。
松谷:そうですね。皆さんも同じだと思うけれど、実際決めるのは私ですから。やっぱり自分の中の考え方とか感覚は大事にしていますし、それでしか方法はないですね。自分が好きで、「これはいいわ」と思うわけですよ。その上で、やっぱり誰かに見てもらいたいとも思います。
具体の時なんかも友達が来たり行ったりしてね。「ああ、まあちゃん、これはおもろいなあ」とか言われたら、そうかなあ、ってな感じでね。そういう出会いがあの頃はたくさんありました。一人だけで作っていたわけではなかったですね。あの頃は本当にそういう交流があって、携帯なんかもないですからね。この目で見て、触って、顔色を見て、いろいろ聞いて、という経験が一番大きかったですね。
AR:以前インタビューで、松谷さんは自身の手を動かすことの重要性について語られていましたが、ご自身の手で制作するという身体的な行為は、作品をつくるうえでやはり大きな意味を持っているのでしょうか。
松谷:もう、おっしゃる通りですね。材料とか技術は発達していても、やっぱり一人の人間が持ちうる、人間の五感っていうのは不可欠です。今はコンピュータでいろんなことができますし、それはそれでいいんですけれど、私はやっぱりこの五感を大事にしたい。目とか耳とか鼻とかね。こういう感情というのか、その意識っていうのは一人一人違いますから、そこから物を作ることが大事だと思っています。技術がどうとか、画面がどうとか、売れているとか、人間だからそういうことも考えますけれど、やっぱり美っていうのは捨てられない。人間に課せられた一つの目的というか願望のようなものですね。それは美術だけじゃないんです。映画もあるし、彫刻もあるし、いろんな美がありますから。風景ももちろんそうだけれども、それを作るということがやっぱり創作ですわ。
AR:視覚だけではなく五感を重視した制作のあり方は、松谷さんが作品をパフォーマンスとして行うこととも関係がありますか。
松谷:パフォーマンスするのは、やっぱり日本の伝統的なものも大切だけれど、それを打ち破るんだという体験を50年代にしてきたからですね。その気持ちは、今、何度も言うように、新しいものを作るということと繋がっています。それが我々のグループの趣旨でしたから、そういう意識はもう完全にありますね。
だから道を歩いていても何をしていても、面白いと思ったものはメモしておくとか、ごみを拾ってきておいて、それをオブジェにするとか、アトリエではそういうものも並行してたくさん作っています。新しいものを生むというのか——新しい美を——まあ、美と言ってしまうと少し大袈裟かもしれませんけれど。だからカテゴリーや領域というものは、あるようでないようなところがありますね。
AR:日常の中からも美のヒントを受けているとのことですが、そうした経験はモチーフの形成にどのように関わっていますか。《繁殖》シリーズは抽象的に見えますが、その原点の一つには顕微鏡の中の世界があり、ある意味では具象的であるとも言えます。
松谷:そうですね。私の作品はどちらかというと抽象的な傾向が続いています。その中で、さっきも言ったように顕微鏡で覗いた世界とか、人間の細胞とか、そういうものを自分の作画イメージの中に取り入れています。
《繁殖》について言うと、今から60年前、神戸大学で血液の結晶を研究している友人がいたんです。その彼が「松谷君、面白いものが見えますよ」と言って、その結晶を顕微鏡で見せてくれたんです。そこには、人間の血を分析したいろんなイメージが浮かび上がっていました。
僕にとっては、それが強いイメージとして残りましてね。すごく大きな影響を受けました。自分の中にあるイメージと有機的な要素、それから性的なイメージもあったんだろうけど、そういうものを見ながら、自分で何か作っていく時に、あるものを至極客観的に見ることを学んでいった時期でもありました。そこから、こういうボンドを使うようになったんです。まだ20歳前後の頃です。
AR:興味深いのは、影響を受けられたという顕微鏡の中のイメージ自体は血の結晶で、必ずしも抽象的なものではなかった点です。一方で松谷さんの作品は抽象として受け止められてきました。
松谷:難しい問題ですね。人間が見る世界には具象と抽象とあるけど、これは山だろう、これは木だろう、とか言うように、歴史的に「木はこういうものだ」、という概念や領域はありますよね。そこで、僕は血の結晶を初めて見た。それは研究するために作られたものですけれど、それを美として受け止めるかどうかは捉え方の範囲の問題だと思います。人間が捉えなくても、それ自体は存在していたわけですが、人間がそれを見て、綺麗だとか、ここは良くないとか、判断する。それは意識の問題だと思いますし、その意識も時代によって変わっていきます。
直感的なことや、その時の感覚を作品に置き換える作業をするのが作家ですから。それを言葉で説明するのはなかなか難しい場合もあります。ただ、僕の場合は何度も言うように、有機的で可能性のあるものが、自分の体質にあることがよくわかっています。そうした感覚とも関係していると思いますが、丸みを帯びた形をずっと作り続けていますからね。
いろいろと変化を加えて、作家それぞれの生活や性格などありますから、それによって芸術というのは、作る側も新しい美を作るし、見る側も新しい美を感じる、そういう交換のような関係のなかで、やってきたというところが本音ですね。
AR:今回のHauser & Wirth 個展で注目されている作品の一つに《The Magic Box》(1988) があります。この作品は展示空間にも働きかける立体作品だと思いますが、平面作品とのつながりはどのようなところにあるのでしょうか。

松谷:《The Magic Box》は高さ2メートルほどのベニヤ板を黒く塗装して作った大きな箱の中から布が出ている作品です。その布にも墨や鉛筆で書のようなイメージを描いています。実はこの作品のヒントは、昔のカメラです。フィルムを巻き取る装置がカメラの中にありますよね。あれがヒントになって、そのボックスから布が出てくるような仕組みにしています。80年代に制作した作品で、柱に結びつけて展示していました。
AR:今年10周年を迎えるプリ・マツタニ(PRIX MATSUTANI)についても少しお聞かせ頂けますか。
松谷:プリ・マツタニは、2015年に財団法人を作り、個人ではなく財団として運営しています。以前、私自身がパリで奨学金をもらったお陰でここに居られた経験へのありがたさがありましてね。そのお返しの意味もあって、自分の資産の一部から、毎年五名程の候補者を選んで、松谷賞という形で賞を差し上げています。その五名の中から一人が選ばれる形です。
対象は美術だけに限らず、社会活動や学校、出版社なども含んでいます。家内は自身の創作を通して出版に関わる人とも付き合いがありますし、出版には資金も必要ですからね。いろいろな分野の人を支援しようと続けているプロジェクトです。
AR:毎年選ばれるのですか。
松谷:毎年に近いですね。ただ、私が選ぶわけではなくて、美術館の館長や批評家などから成る審査員が、実際に作家を訪れて、彼らの作品を見て決めています。美術の場合は作品を見ないと決められませんからね。コロナの影響で、実施できなかった年もありましたが、今年の第10回 PRIX MATSUTANI の受賞者は9月に発表される予定です。
AR:今年はパリのチェルヌスキ美術館での展示も控えていらっしゃるそうですが、詳細など教えて頂けますか。
松谷:チェルヌスキ美術館は、19世紀の共和主義者でありアジア美術の蒐集家でもあったアンリ・チェルヌスキのコレクションを基にした美術館で、東洋のいろいろな国、中国やインド、日本のオブジェや掛け軸など、さまざまなものを収集しています。ただ、日本美術の分野は手薄で、これまで現代日本美術の研究はあまり進んでなかったそうなんです。日本部門担当のピエール・ゴウティエさんから話があって、今回制作をすることになりました。会場には2メートル四方ぐらいの大きな壁が3面ありますので、かなり大きな作品を作らなければならないと思います。
AR:作品制作に対するモチベーションはどのように維持されているのでしょうか。
松谷:生まれてからこれまでを振り返ってみると、どこかに勤めたり教えたりした経験は若い頃に少しあったくらいで、ほとんど一人でやってきました。そういう流れの中で、どうしても自分中心の話になってしまうかもしれませんが、他の方とは生活体験の幅などが少し違うのかもしれません。でも、美術というのは、自分が好きでやっていることですからね。やっていると疲れるとか、そんな事は思わないですね。楽しいですよ。食べていけたら良いといつも思っていましたけれども、そんなに簡単なもんじゃない。でも最近になって少し生活も落ち着いてきました。やっぱり、作るということの喜びを、これまで本当にたくさん学んできたと思います。
AR:松谷さんはパリに居住されて今年で60年目になられます。最後にパリでの日常生活や制作過程についてもお伺いしたいのですが、例えばスタジオに向かう途中の風景や人々なども、制作に影響を与えているのでしょうか。
松谷:スタジオがわりと住居に近いですからね、毎日行っているけど、行っているだけでやらんときもありますよ。でも行かんと気が済まんね。30年も付き合っている行きつけの煙草屋さん兼カフェがあって、まずそこでコーヒーを飲んで、常連さん達と喋ったりします。近所の人はみんなそこへ来はるんで。定年になったようなお年寄りも多いですね。観光客は来ないような場所です。
道中、いつも途中の郵便局の前に座ってお金を恵んで貰っている人がおるんですが、実はその方も私も、地域に組み込まれているような感覚を得ます。人間はそれぞれ違いますし、世界には色々な生物が生きたり死んだりしておりますけれど、そのなかで「美」という観念は今のところ人間しか持てないみたいです。ですから出会いは大事にしています。出会いや、美への関心が無くなっていったら殺伐としてくると思います。
AR:そういった社会的な関係や人との出会いという点で、今回の個展オープニングではどのようなことを考えられましたか?
松谷:千人近くの人が来てくれましたが、僕が一番嬉しかったのは、今のこういう、あちらの人を殺したり、こちらで人を殺めたりしているような時代の中で、アートという仕事はそうしたことを超えたところにあるんじゃないかと思えたことですね。美の感性は生きている人間しか持てない。作る方にも見る方にも、お互いそれがある。これは同じ次元ですよね。その中で、やっぱり新しいことをするっていうことは、何でもそうですけれども、例えば今日こうして話しているのもこの時しかないですからね。今生きている瞬間の中で、自分の経験や体験を自分なりの形にしている。それだけなのですよ。

「TAKESADA MATSUTANI: Shifting Boundaries」は、4月16日までHauser & Wirth ロンドンにて開催されている。
