私も完全にあの日のことを覚えている。日本に住んでいた時に持っていたものはすべて処分して、スーツケースを二つだけ引きずってヒースロー空港に降り立った夏の日のことを。ロンドンに到着したのは夜だったのに、思いのほか明るい空港の外で吸い込んだタバコとその空気は、カビ臭くて、ずっと放置された生ビールのような懐かしい匂いがした。それは、これから始まる日々の期待と不安が入り混じった匂いだった。
多和田葉子『研修生』も、異国の地で海外生活をはじめる「わたし」の物語である。日本の大学を卒業したばかりの「わたし」が、書籍取次会社の研修生としてハンブルクに移住して、慣れない言語と西洋の文化に戸惑いながらも新しい土地で生活を始める物語。電車にも乗れない、時間すらまともにわからない生活で「わたし」は、新しい人々と出会いまったく異なる価値観を知り、徐々に世界を発見しながら自分の輪郭を掴んでいく。
大人になった私たちは、日々の生活に慣れっこである。自分の嫌な習性も、それとどう向き合って生きていけばいいのかも、もちろん失敗することもあるけどだいたいは把握している。その状況は心地よくあると同時に、自分の人生がこの先もこの街で変わらず進んでいくだろう、行き詰まり感を認めながら生きてゆくことでもあるだろう。
馴染みのない海外に住むということは、つまり子供に戻るということだ。人々との会話が大雑把にしか理解できない。自分の発言が間違っているように感じる。生活や文化の細かい勝手がわからない。もっと具体的に言えば、自分以外のみんなが当たり前のように知っている10年前に流行っていた曲やドラマを知らない。そのせいなのかはわからないけど、母国で生きていた時ほど簡単には友人が作れない。おそらく肌の色の違いもさらにそれを加速させ、基本的には疎外感を感じ続けることになる。改めて考えるとこの状況は、大人だけが楽しそうに会話している中で、その輪にうまく入れなくて結果的にはじっこで一人遊びをすることになる子供の状態と似ている気もする。
私はとにかく自分の子供時代が苦手だった。同い年の子供たちが夢中になっているものがまったく理解できず、かと言って大人とは対等に会話できない怒り、さらには大学や高校にすら行っていない親の頭の悪さと滲み出る品のなさにずっと苛立ち、どこにいても居心地の悪さを感じていた。でも大人になってからイギリスに引っ越して他文化に飛び込むことで、やっと自分自身の意志で子供時代を生き直しているような実感があった。イギリスに馴染んでいくことは、気が遠くなるような日々とプロセスだった気がする。いまではやっとかっこつけずに、遠回しな表現や単語がわからない時は相手に素直に伝えることができるようになったり、知りたくないことはわざと理解していないフリを押し通せたりという、子供として生きる覚悟と感覚のようなものが身についてきた。そして同時に、物理的に色々なことがわからない状態はほとんど快楽に近いことを知る。知らないということは超きもちいい。外国人である免罪符を通して当たり前がわからないことを許されることや、目の前に学ぶべきことが膨大にある喜び。大人になった私たちにとって、子供として人生をまた始めることは、当時感じていた苛立ちや不安を改めて感じると同時に、とてつもない解放感と気持ちよさがあることを知ることになった。
『研修生』は、知識や経験を貪欲に吸収したいという瑞々しい欲望に溢れた「わたし」という存在を通して、この本を読んでいるわたしたちも世界と改めて出会うことが可能になる。それは異国に移住する行為なんて、もはやほとんど関係のない領域が緻密に描かれている。かつて私たちは、生きることに慣れっこではなかった。色んなことを知らなかったし失敗だらけだったし、知人も少なかった。どうやって世界と接続すればいいかわからなかった。長い年月をかけて築いてきた心地よくも行き詰まりなそれが、思い切り崩され、子供時代のパーソナルな記憶が目の前に蘇ってくる。生き続けていく上で、段々と新しい経験や知らないことが少なくなってくる大人のわたしたちにとって『研修生』を読むという行為は、不安と期待で満ち溢れた、子供として生き直す極上の快楽を思い返させてくれる。
石原 海はロンドンと東京を拠点にする映画監督/アーティスト。今月からロンドンのGasworksにて個展 Nocturnal Melodyが始まる。期間:2026年1月22 日 – 3月22日
