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諜報的、或いは閾と間に生きる|荒木悠インタビュー         

《南蛮諜影録》スチル 2025年(40才)

君はその言葉を最初から自分のものだと思い込む。
私もそう思うことがある。
この言葉は私のものでも、君のものでもない。
《南蛮諜影録》より

荒木悠はスパイである。この挑発的な一文は、かつて荒木の個展テキストの冒頭に置かれた言葉だ。単なる比喩ではなく、観者を無傷の位置にはおかない罠として、荒木の実践を象徴的に言い表している。荒木の作品には、名指しえず、同定を拒む主体と構造がつくりだす不確かさがあり、観る者の方向感覚を揺さぶる。そこで生起する知覚のずれは、しばしば身体と制度のあいだに生じる「居心地の悪さ」や「関係の緊張」の造形として立ち上がる。時にそれは「笑い」という感覚装置として、観者の側にそのほころびを発露する。

歴史に名を残すスパイとは、失敗し顕出してしまった者たちだという。荒木がしばしば参照する諜報的(Operative)な手法は、巧妙に環境へ溶け入る存在への憧れであると同時に、完全に透明であることが不可能であるという認識も孕んでいる。適応しようとすればするほど、身体はどこかで露呈してしまう。言語や制度に馴染もうとする際に漏出する、その微細な綻び──アクセント、視線の動き、場に対する過剰な配慮──は、やがて可視的な差異として浮かび上がる。荒木は、越境そのものよりも、越境しようとする主体が不可避的に露呈してしまう、その瞬間を捉えてきた。それは二重化された世界の「間」、内部と外部の境界で、立場と視座が揺らぐ「閾」に新たな回路をひらく試みとしても現れる。

他者への依頼という手法や制作プロセスで起きる偶然性をもあえて採用する荒木の構えは、固定化された属性へと回収されてしまうことへの抵抗の身振りとも読める。文化間の邂逅や摩擦、歴史や語りといった次元を慎重に接続しながら、荒木はひとりの<個>に内在する複数性を、代替可能性を保持しながら展開する。その萌芽を早い時期から示していたのが、荒木が22歳、アメリカで制作した《スーサイド・ピース》だ。ブラウン管モニターを通して示されるのは、ひとりの個の自死だろうか。それは個が疎外されながらも外部の語りに折り畳まれ、出口を失っていく──その臨界で生起してしまう「思想的心中」の瞬間のようにも見える。バナナを銃に見立てるというアイロニカルな紛い者(アウトサイダー)としての姿は、社会において要請される「役割」を主体自身が先回りして引き受けてしまう身振りかもしれない。そのとき、個に内在する複数性は、いつのまにかひとつの像へと固定され、主体の意思から制度的語りへとすり替わっていく。

 《スーサイド・ピース》2007年 (22才)
「キュレトリアル・スタディズ16:荒木悠 Reorienting 」展 会場風景、撮影:守屋友樹

本インタビューの契機となった、キュレトリアル・スタディズ16「荒木悠 Reorienting ―100年前に海を渡った作家たちと―」展(京都国立近代美術館・企画 渡辺亜由美)では、この初期作もあらためて現在の問いのなかに配置された。国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫という20世紀の日系移民作家と荒木が並置された本展において、作品と共に会場で展示され重要な礎となった4名の年譜には、帝国や国といった所与の環境に規定された個の痕跡が、語り継がれる過程で生じたずれや補綴をも孕みながら刻まれている。方向そのものの問い直しを志向する「Reorienting」は、本展においていかなる行為として立ち現れるだろうか。誰が語るのか、誰が語ってよいのかという問いは、展示構造に埋め込まれた傾きや、スティーグリッツ《三等船室》に読み取られてきた階層と視線の錯綜、《南蛮諜影録》において撃たれてもなお語り続ける語り手、そして《スーサイド・ピース》が担う、展示の内部に穿たれたひとつの臨界点──そうした仕掛けを通じても反復されていく。そこに通底しているのは、物語が語られる以前に、語りの位置そのものがあらかじめ配分されているかのような感触である。

以下のインタビューでは、こうした実践における問いが、荒木自身の生の時間を経て、どのように制作現場で立ち上がり、形を与えられていったのかが明かされる。行間ににじむ判断や選択の揺れをも手がかりに、荒木がいま問い直そうとしている現在地を辿っていきたい。


透明への希求と欲望、その狭間で

AR:現在は京都を拠点にされている荒木さんですが、本展ステイトメントにおいて、越境した土地にしなやかに順応できる存在に、スパイのように環境に溶け込む「かっこよさ」を長年感じていたと語っています。一方で、「過剰な適応は「個」を裏切りかねない」というジレンマが近年、作品に影響を与え始めているとも記されています。この感覚は、どのように形成され、現在の制作の前提としてどのように意識されているのでしょうか。

荒木:だいぶ遡る話になりますが、アメリカで暮らしていた頃、白人中流家庭に居候していた時期がありました。すでに4人子どもがいる家族で、思春期だった私は重荷になっているのではないかと必要以上に気を使うようになりました。自分の家でありながら、どこか自分の居場所ではないような感覚です。次第に「できれば透明でありたい」というアンビバレントな思いが強くなっていきました。家族でアメリカに移り住んだ当初は言葉の問題もあり、とにかくスムーズに馴染みたいという、少し歪んだ欲望を抱いていたように思います。言語を軽やかに切り替え、環境に自然に適応できる人こそが格好いい──そんな思考の癖を、どこかで内面化していたのかもしれません。

左)合衆国 海兵隊戦争記念碑にて(アーリントン・リッジ公園、2000年7月31日)[撮影:荒木悠]
右)悠、3才(成田空港国際線出発ロビーにて、1988年9月19日)[撮影:宇野博二]

それから25年が経ち、様々なレジデンスでの滞在制作を通して、コミュニティの中で作品を立ち上げる経験を重ねてきましたが、振り返ると、そこでも同じ心境が発動していた。明らかに部外者であるにも関わらず、なんとかその場に自然に入り込み、人々に近づきたいという欲望です。しかし、いくら試みてもどこかに無理があった。

最近になって、ようやくそうした感覚と正面から向き合えるようになってきた気がしています。日本に帰国して18年余り、日常生活でほとんど英語を話さずにいると、次第に日本語の口になっていくんですね。アクセントが出てくることも否応なく認識せざるを得ないという、自分自身の肉体との向き合いが起きました。不思議なもので、こうした自分の中の葛藤する感覚がいつのまにかスパイへの憧れへとつながっていったんです。海野弘さんの著書『スパイの世界史』には、様々なスパイ像が描かれているのですが、そこには「スパイの歴史とは三流の歴史だ」と書かれている。任務に失敗したスパイだけが可視化され、本当に一流のスパイは、いまだ透明のまま、この世界のどこかを彷徨っているはずだ、と。私は、その可視化されてしまったスパイ──すなわち失敗した者たちにすごく惹 かれるんです。スパイは歴史に名を残さない存在であるのに対し、芸術家は名を残そうとする。そのジレンマ、あるいはパラドキシカルな関係に、私は長い間、強く惹きつけられてきたのだと思います。

《南蛮諜影録》スチル  2025年

語りの恣意性―行間・空白・欠落

AR:今回、展示の中で各作家の人生を年譜化されています。国吉、石垣、野田の個人史と、荒木さんの個人史、そしてそれらを取り巻く時代背景や世界情勢。様々な複層性が可視化された展示の重要な一部だったと思いますが、この年譜というアイデアはどのように立ち上がってきたのでしょうか。

荒木:企画者の渡辺亜由美さんと多くのやりとりを重ねるなかで、「自分の意志を超えた選択や結果、その状況に対する判断の形を示す展示」という内容について話し合いました。その応答の一つの形として、3名の年譜に加え、自身の年譜を並置することを提案しました。資料を調べていくうちに、作品以上に彼らの人生経験の壮絶さが見えてきたことも要因だったと思います。同時に、僭越ながら彼らの歩みを「自分ごと」として引き受ける時、20世紀の日系移民作家たちの時間の延長線上に、確かに自分も立っているのだという歴史の感触を実感したかったんですね。国吉と私の間には96歳の年齢差があり、同じ丑年で、ちょうど8回り違う。現代に生きる者として、あるいは自分がその時代に立ち返るような感覚で、先達との関係をどのように引き受け得るのかを考えるうえで、年譜はとても有効でした。

一方で、年譜という形式は、それが後世、誰に、どのように語られていくかという、きわめて恣意的な側面もあります。3名はいずれも壮大な人生を歩んでいますが、物故作家はもはや語ることができません。私が最も関心を向けたのは、むしろその語り得ない「行間」でした。少し逆説的ですが、その空白にこそ、強く惹かれたんです。現時点で幸い私はまだ物故作家ではありませんが、それでも今回、自身の年譜において、相当な編集と取捨選択を行いました。自分がフィジカルに登壇した場や、誰かの通訳を担った現場など、実際に身体を通して関わった出来事に焦点を当て連ねました。ただ、将来的に、何が選ばれ、何が残っていくかは、まだまったくわからない。歴史の語られ方や、作家像の作られ方、そしてその恣意性についても、考えを巡らせる取り組みでした。

石垣栄太郎《鞭うつ》 1925 年(31才)京都国立近代美術館蔵

AR:本展では、ご自身の年譜の中でもかなり初期の映像作品《スーサイド・ピース》が展示されています。望遠で盗み見られているかのような視線をもつ本作には、近年作とは異なる切り詰められた緊張が感じられます。そこには先の「場への過剰な適応」の残滓や、語りの位置そのものが揺らぐような不穏さも刻まれているように思われますが、あらためて本展の文脈の中でこの作品を考える時、どのような感覚や構造を見ていますか?

荒木:例えば石垣栄太郎は、当時アメリカで活動していたメキシコのディエゴ・リベラらと交流し、その影響を受けながら社会的な主題を扱う作品を制作しました。一方で《スーサイド・ピース》にも当時私がアメリカで受けた美術教育の影響が色濃く滲み出ています。彫刻を専攻しながら映像制作を続けていた当時、“脱オブジェクト”への関心と、永住権が受理されず帰国を余儀なくされた状況が重なっていました。どっちつかずのアンビバレントな領域に置かれていた感覚が、それらと強くシンクロしたように思います。

少し話が飛ぶようですが、チェスにおいて最終的に引き分けが確定する状態をステイルメイトと言います。どちらにも一切動けない、極限まで切り詰められた局面です。多くの過程や駆け引きを経た末に、双方行き詰まってしまうあの緊張に、私はある種の造形美を感じます。《スーサイド・ピース》も、引き金を引く/引かないという一瞬を巡る“引き分け”の状態を持続させていて、そうした宙吊りの構造や造形美のようなものを作品に求めていた傾向が反映されていたのだと思います。さらにあの作品には、肝心の「撃たれて倒れる瞬間」が映っていません。完全に偶然だったのですが、結果的にその「欠落」がもたらす揺らぎもまた、作品に生きていると感じています。

《南蛮諜影録》スチル  2025年

AR:映像の中に白人が映り込んでいる姿がありますが、そこに「オリエンタル」という感覚も重なります。サイードが指摘するように、オリエントとは地理的実体ではなく、西洋が「向いている先」として作り出した概念です。白人中心の空間において、非白人は、どう自己を位置づけるかという問題と、どう見られているかという二つの問題を、同時に引き受けざるを得ない。そう考えると、国吉が白人女性を撮影した写真を見て、あの時代にアジア人が白人女性をどう表象しえたのか、という点も強く意識されました。

荒木:国吉の写真については、私もまったく同じことを考えました。その上、カメラを持つという行為はそれ自体が、非対称な権力性を含んでいますよね。国吉には《Self-Portrait as a Photographer》という1924年の自画像がありますが、あの作品における肌の色だったり自身の顔、特に目の「オリエンタルネス」に当時の彼の自覚のようなものが表れている、といった内容の論文も読み、勝手にシンパシーを感じていました。《スーサイド・ピース》に戻して言えば、映り込んだ白人の立ち振る舞いというのは、仕込みもないので偶然撮れたわけですが、あの視線にはどこか動物園的なものを感じますね。バナナが猿を想起させたりもしているわけで、自虐が何重にも折り込まれている。唯一撮影時に演出したのは、背景にアメリカの国旗が入る構図でお願いしたような記憶があるので、今あらためて見ると、思った以上に見られ方に意識的だったと感じます。ちなみに、撮影をしてくれたのは当時付き合っていた白人女性のアーティストで、彼女がカメラを回しているという図式も、例えば国吉の《本を読むサラ・クニヨシ》(1938年)との対比でみると興味深いように思います。

国吉康雄《コニーアイランド》 1938 年 (49才)京都国立近代美術館蔵 

距離感を持って考える

AR:そのオリエントという言葉も含む「Reorienting」が展覧会タイトルに採用されています。テキストには「方向を見直すこと」と同時に「再び東を考える」という意味も記されていますが、そこには近年のご自身の心境や世界情勢の変化も重なっているように読めました。今回はこれまでの実践について、いったん立ち止まって再考するような契機が大きかったのでしょうか。

荒木:日本で私の活動が紹介される時、「日米の」という大きな枕詞で一元的に括られることが多いのですが、近年、その語られ方に強い違和感を覚えるようになりました。アメリカというものが、私の中で徐々に遠のいてきた感覚とも関係があるかもしれません。そこで今回の展示にあたり考えたのが、「再び距離を取りながら考える」ということでした。語られ方そのものを少しずつずらしてゆくことはできないか、ということに関心が向いていったんです。

国吉、石垣、野田の3名に確かに共通項はありますが、実際には生い立ちも環境も、制作における影響関係も大きく異なり、重ならない部分のほうが圧倒的に多い。その距離感や差異を、むしろ積極的に捉え直す方法を考えたときに浮かんだのが「Reorienting」という言葉でした。美術史のアウトサイドに位置づけられてきたことや、移民の画家、日米の狭間での苦悩——そういった長年、更新されずに固定化されてきた「コピペ的な語り」に抗いながら、従来のナラティブに小さな抜け道を、別の回路を作ると考えた時、劇的に180度変えることはできないけれど、せめて8度くらいずらしてみる。その感覚が、今回の展示の重要な軸になっています。

「キュレトリアル・スタディズ16:荒木悠 Reorienting 」展 会場風景 撮影:守屋友樹

AR:そういった思考が、展示におけるあの「8度の傾き」にもつながっていったのでしょうか。

荒木:振り返るとそのようにも思えますが、実際は偶然の連続だったり、現場や条件といった外的要因による影響が大きかったりしますね。まず、展示空間内の天井にあるスカイライトが非常に特徴的で存在感がありました。無視できない大きさで、どうにか活かせないだろうかと下見を終えてからずっと円形について考えていました。結局いいアイディアが出ないまま、私はポーラの在外研修でリスボンへ発つのですが、滞在中に街中でよく目にしたのがコンパスローズや海図のモチーフでした。ポルトガルは大航海時代の海洋帝国で、広場や石畳にそういった意匠がたくさん使われてるんですね。「Reorienting」という言葉を思いついたのも丁度このときで、スカイライトの円形を起点にコンパスローズへと方角に発想が繋がり、展覧会の枠組みを導き出すことができました。さらに、美術館のある京都は碁盤目状の街なわけですが、京都御所を含む平安京は、厳密な真北から少し西へずれているということを知りました。これには諸説ありまして、あえてずらすことで気を回す、という陰陽道的な説もあれば、当時の天文観測機器の精度の限界だったという説もある。その「ずれ」に着目して今度は磁北を調べてもらったところ、現在の京都市全体の軸は磁北から約8度西へずれていることがわかりました。そこで、展示空間を構成する際にフェンスも什器もすべて8度ずつずらし、磁北に倣って空間を“正してみる”、という配置にしました。ただ、航海や飛行にも不可欠なこの磁北というもの自体、決して絶対では ないんですね。緯度や地磁気の変動によって変わっていく。100年後には、もっとずれが生じるだろうと言われています。そうした「一見絶対に見えるものが、実は絶対ではない」という点も、とても示唆的で面白いと感じました。

《南蛮諜影録》スチル  2025年

語りの装置 – タングステン、クラリティとアンビバレンス

AR:本展で発表された新作映像《南蛮諜影録》も、リスボン滞在が大きな鍵になられたと伺いました。作品ではタングステンについて言及されています。タングステンはミサイルや弾丸など、貫通力を持つ兵器にも使われる一方で、照明にも用いられる素材ですよね。

荒木:おっしゃる通り、鉱物としてのタングステンは、熱に強く高温でも溶けにくいという性質から、20世紀を通じて白熱電球や撮影用照明のフィラメントとして欠かせない素材でした。一方で、その硬さと高密度を活かして兵器用の合金や装甲貫通弾の材料にも使われてきた。その素材としての二面性がまず面白いと思ったんです。さらに興味深いのは、第二次世界大戦中に、ヨーロッパで主要なタングステンの供給源のひとつがポルトガルだったことです。また、中立国の首都として各国のスパイや情報工作員らのハブだったのです。表向きは中立国を装いながら、裏では連合国と枢軸国の両方を相手に取引をしていた。その抜け目なさが、諜報のイメージとも重なって、とても示唆的でした。

《南蛮諜影録》スチル  2025年

AR:今回のインタビューを通して、「二面性」や「アンビバレンス」という言葉がよく使われていますが、一方でタングステン照明は、ものを白く、はっきりと見せる装置でもあります。クラリティとアンビバレンスの関係についてはどうお考えですか。

荒木:とても鋭い視点ですね。これまでお話しした通り、そこには、私自身の憧れやコンプレックスが関係している気がします。自身がどこか中途半端な存在になりつつあって、だからこそ、確固たるアイデンティティを持つ人や、はっきりした輪郭を持つ存在に惹かれる。その一方で、実際にはいろんな事情で小さい頃から転勤が続き、揺るぎない故郷というものへの感覚がないことも大きい気がします。京都が拠点ではありますが、腰を据え て制作しようと思っても、結局色々な場所へ行ってしまう。強い<個>を持って存在している人へのコンプレックスが、こうしたモチーフへの関心につながっているのかもしれません。だからこそ、この対比構造は重要なものだと思います。

 AR:《南蛮諜影録》のモノローグには、コロニアリズム、ジェントリフィケーション、オーバーツーリズムを同一線上で捉える視点や、フーコー的な監視社会の話が出てきます。これは荒木さんご自身の考えなのでしょうか。

荒木:かなり乱暴なことも言っていますよね。ここで、モノローグの作り方について触れておいた方がいいかもしれません。今回、クレジットに「AI ARAKI」という名前が出てきますが、あれはAIと私の共作なんです。いわゆる「信頼できない語り手」、誰の声なのかが最後までよくわからない構造になっている。語っている人物は途中で一度スパイに撃たれて死ぬのに、また生き返って平然と話し続ける。「俺」が「私」に入れ替わったりもする。あれは果たしていったい誰の声なのか、という問いかけ自体を構造のなかに組み込もうと思いました。スクリプトは、AIとのやり取りを何千ターンも重ねながら作りました。私自身が調べた資料を投げ、返ってきたものを精査し、肉付けし、また返す。この繰り返しをずっと続けていくと、徐々にもうあまり変わらないし動かせなくなり、さっきのステイルメイトのような状態になるんですね。そこでようやく採用する、というプロセスを経ています。それはまるでペルソナを育てるような、造形していく感覚でもありました。リスボン取材での体感も織り込まれていますが、つなぎ方はかなりアクロバティックなのもそのためです。

《南蛮諜影録》スチル  2025年

挙げていただいた問題に絡めていうと、京都でこの作品を発表できたことは象徴的でした。オーバーツーリズムやジェントリフィケーションは、京都でも深刻な問題として議論されていますし、リスボンも同様です。ポルトガルはかつての植民地との歴史的関係から、ブラジルやアフリカのポルトガル語圏諸国にルーツを持つ移民コミュニティが多く、多民族的な都市となっていて、近年の観光客増加に加え、デジタルノマドの流入もあり、都市の再編がものすごいスピードで進んでいます。かつては外へ拡張していった帝国の中心都市が、今度はグローバル資本や移動の波によって生活環境が変えられていく。その反転したような光景も強く印象に残っています。

日本でも安全保障やスパイ防止法をめぐる議論が続いていますが、もはや現在では何が諜報行為なのか、どこまでが情報収集なのか、その境界が本当に曖昧になっているなと思います。スマートフォンで検索するだけでも、情報は常に抜き取られている。監視と日常が地続きになっている感覚が、今回の作品の背景にありました。その延長として、「見る/見られる」「撮る/撮られる」という古典的なテーマを、現在の状況で改めて問い直したかった。そこで、第四の壁を破る演出や、カメラ目線で語りかける、といった古典的な映画の文法を混ぜ込みました。メタ構造として、誰が誰を見ているのかがわからなくなる。観客が見ているはずなのに、同時に見られている感覚が立ち上がるような、そんな不安定さそのものを、作品として提示したかったのです。いわば、メタなベタ、もしくはベタなメタかもしれません。

Diego Velázquez, Las Meninas, 1656, oil on canvas, 318 × 276 cm. Public domain
《南蛮諜影録》スチル  2025年
© Museu Nacional de Arte Antiga, Direção-Geral do Património Cultural / Arquivo de Documentação Fotográfica (DGPC/ADF): [photographs by Luísa Oliveira / José Paulo Ruas]

眼差しのオリエンテーション

荒木:ところで《南蛮諜影録》に登場している南蛮屏風は前々からとても好きな作品で、《ANGELO LIVES》と言う過去作でも、同じイメージが登場しています。今回ポルトガルの国立古美術館で実物と対面できたときは本当に感激しました。同時に、これほど重要な優品が日本ではなく海外に所蔵されているという事実にも、ある種の衝撃を覚えたわけですが…。そもそも、なぜ南蛮屏風にこれほど惹かれているのかというと、呼称自体にも表れていますが、外から来た異質な存在として相手を位置付けながらも、同時に強い関心をもって筆を尽くしている。他者を受け入れながらもしっかり観察している、この異様ともいえる視線のねじれが非常に面白くて魅力的です。在外研修の調査もあり、屏風をじっくり見ていたのですが、ある瞬間、目が合ってしまったんですね。真正面を向いてこちらを見返してくる人物と。先ほどお話しした、第四の壁とも通じますが、美術史では《ラス・メニーナス》のように、画面のこちら側を見る眼差しには、しばしば特別な意味があると論じられています。この眼差しはいったい誰に、何に向けられているのか。そう考え始めた時、イメージが大きく動き始めました。 

AR:その「こちら側を見る眼差し」、すなわち見られること自体が一種のオリエンテーションでもありますよね。視線の向きは、自己と他者を分けるだけでなく、同じ方向を見ることで集団やアイデンティティを生む。ナショナル・オリエンテーションやセクシュアル・オリエンテーションとも重なります。その意味で、《野良犬たち》の犬たちは、いったい何を見ているのでしょうか。

荒木:何でしょうね。本物の犬たちだったら、こんな風に均等に群れないとは思いますが(笑)。今回の展示では特定の方向性を与えすぎないように、放射状にいろいろな方向を向かせています。これには彫刻として、一周回ってみてほしいという意図はありました。一見かわいらしいオブジェのようでいて、裏側にはGHQ占領下の日本で作られたことを示す「Made in Occupied Japan」の印がある。見えているものと見えていないものが両義的に存在している点に着目した作品です。また犬というモチーフそのものも、たとえば戦後の日米関係をめぐっては、「日本はアメリカの犬だ」という比喩的な言い回しが批判的に用いられてきたことや、従属と自立という相反する力学とも重なってくるように感じます。

《野良犬たち》制作:1947 – 1952年/発表:2017年 – (32才)
メイド・イン・オキュパイド・ジャパン製陶器 作家蔵 撮影:守屋友樹

AR:視線や配置の作用という視点は、展示全体において立ち上がっていたように思いますが、荒木さんがコレクションから選ばれたスティーグリッツの《三等船室》の位置についても教えてください。あの作品には当初理解されていたナラティブとは異なる説も生まれていますね。

荒木:恥ずかしながら、私の思い違いで、当初はニューヨークへ向かう移民を撮影したものだと思っていたのですが、実際にはヨーロッパ行きの船上を写したものと渡辺さんに教えていただきました。それでもなお、動線的に展示の冒頭に配置した結果、副題の「Across the Pacific」をアトランティックにずらし、展示動線の最後の《南蛮諜影録》がリスボンを舞台にしたことで、太平洋だけの話ではなく、大西洋をも含めた広義の「海を渡った作家たち」の構成が立ち上がりました。ちなみに、スティーグリッツが《三等船室》を撮影した際、ガラス乾板を一枚しか持ち合わせていなかったそうなんです。決め打ちというか、出たとこ勝負で撮られた完璧な一枚。その偶然性を取り入れる作家の力量に、私は励まされます。

余談ですが、展覧会には渡辺さんのキュレーションで京都国立近代美術館蔵のスティーグリッツがデュシャンの《泉》を撮影した写真が掲載された雑誌『ザ・ブラインド・マン』が出品されていました。《泉》のエピソードでも知られる独立協会展は、参加費さえ払えば誰でも出品できたという場です。部外者として扱われていた国吉たちはそこで作品を見せるしかなかったわけですね。実質的なデビューの場だったというのが、渡辺さんがとても重要視されていた点です。そこに私なりに応答する形で、デュシャンの “R. Mutt”という署名に注目しました。“mutt”は英語で雑種という意味で、まさに《野良犬たち》という陶磁器のレディメイドを出品するチャンスだと思ったんですね。ですので『ザ・ブラインド・マン』が展示されている壁からちょうど対角線上にくるあたりの場所に設置することにしました。また、犬たちが納められていた展示ケースは、美術館にあるもので六本脚か四本脚の什器二択で一瞬迷いましたが、まあやはりここは四本脚だろう、と(笑)。

「キュレトリアル・スタディズ16:荒木悠 Reorienting 」展 会場風景 撮影:守屋友樹

国吉と二枚貝|<個>の意志を超える配置

AR:六本木クロッシング2025で展示されている新作《聴取者》には牡蠣殻が採用されていますが、二つに合わせられた二枚貝というモチーフは、これまでも《双殻網》シリーズなどに登場していますね。準備期間が重なったことで、本展とどこかで繋がる部分はありましたか。

荒木:はい。ちょうど私が40歳になったタイミングで二つの展覧会のお話をいただきました。京都国立近代美術館での展示は、過去15年を振り返る仕事。そして六本木クロッシングは今後15年をどう考えていくか、見据えるための最初の仕事になっているような感覚があります。さらに、その二つの展覧会を蝶番として繋ぐ形でKYOTO INTERCHANGEの個展が位置付けられます。タイミングも重なったおかげで、それぞれベクトルの向きこそ違いますが、健康的に捉えることができてとても有り難かったですね。双隻で逆方向に出航できたイメージです。

少し間接的な話になってしまいますが、本展の企画を受け、あらためて国吉の仕事を調べている中で思い出したのが、MOTアニュアル2024で見た国吉の《幸福の島》という作品でした。展示の最後の部屋で登場するあの作品にはハマグリのような二枚貝が描かれていて、その内部から蜃気楼が立ち上がるような、不思議な絵でした。ちょうど本展のオファーを頂く少し前に見ていたので、何かのご縁を感じました。その作品を見てから間もなく、北海道の三岸好太郎美術館を訪れるのですが、三岸も貝や蝶のモチーフを繰り返し登場させていて、その二つのフォルムに類似性を見出していた点には強いシンパシーを感じてしまいます。そうした個人的な嗜好と、国吉の仮面もそうですが、作品内で繰り返し登場するモチーフに魅かれるのは、ものづくりの端くれとしてどこかで先達との関係を重ねてみているからのように思います。

《聴取者》2025年 (40才)
2チャンネル・ビデオ・インスタレーション、ステレオ・サウンド、指向性スピーカー、8分21秒、展示風景:「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年 撮影:竹久直樹

AR:それもまた「自分の意志を超えた展示」という本展キーワードにも繋がってきますね。

荒木:そうですね。幼少期から親の仕事の都合で転々とせざるを得ず、自分の力ではどうにもならない状況に置かれてきましたが、一方で戦争や紛争に巻き込まれ、生きること自体に必死な人々の存在を思えば、自分がいかに特権的な立場にいるかを痛感します。社会の大きなうねりも含め、個人の意志とは別の力が働く場面は常にあります。そうした中で、「なるようにしかならない」と感じつつも、ではその状況下で如何に自らの望む方向へ舵を切るのか──その問いを、国吉、石垣、野田の足跡から汲み取ることができました。同時に、どの時代にも歴史に名を残すことのなかった無数の人生があったことを常に忘れないでいたいと思います。展覧会に寄せた文章にも書きましたが、選択肢すら奪い取ってしまう非人道的な蛮行は決して許されるものではありません。そのような社会にさせないために、常に目を凝らし続けなければならない。その思いを、この展覧会の通底音として響かせたかったのです。

(2026年2月24日・談)


六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠|森美術館|2025年12月3日(水)- 2026年3月29日(日) 

荒木悠|Kyoto Interchange| 2026年1月16日(金)- 3月10日(火) ※会期中水曜休廊

キュレトリアル・スタディズ16:荒木悠 Reorienting ―100年前に海を渡った作家たちと―|京都国立近代美術館|2025年10月7日(火)- 2025年12月7日(日)


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