東京・小平市にある照恩寺にて、実力ある美術作家に発表の場を提供してきた「照恩寺アートプロジェクト」。今年で9年目を迎える同プロジェクトで、大石一貴の個展「光]でもってすべて見)つくす、音)とどくとも。)」が開催中だ。過去の参加作家同様、「寺院の特異な空間にいかに応答するか」というお題は大石にとって最初のハードルとなったはずだが、彫刻、版画、詩などさまざまなメディアが組み合わされたインスタレーションは、展示のコンセプトと照恩寺の場所性を巧みに融合させていた。

《ブラウン管テレビと古い本とカーテン》
(右)未然のオブジェ《折り畳み傘と空のバッグ》
2026年 撮影 : 木川宗一郎
照恩寺は、小ぶりながらに品の良い枯山水をあしらったガラス張りの中庭をもつ。その中庭をぐるりと囲むかたちで回廊があり、右手に二室の和室、左手に法要を行うための本堂がある。大石は、この中庭を空間構成の起点に据え、中庭から回廊、そして回廊から和室、本堂というふうに、中心から周辺へと波及する同心円状の領域を建物内に想定した。同心円は三重の円から成り、円周上の随所に作品を配置するという分散的な展示である。展示されているのは、日傘、ペットボトル、電波時計、本といったオブジェをそれぞれ紐で束ねたものと、それらに対応する粘土の立体作品だ。粘土の立体作品は、紐で束ねたオブジェを型取りするような案配で成形されており、表面にびっしりと小さな文字が刻まれている。文字はすべて大石による自作の詩だが、軟らかい粘土を引っ搔いて書かれた文字は部分的に崩れており、すべては読めない。耳なし芳一が身体中に書かれたお経のごとく、どこか不気味な印象が漂う呪物めいた様相である。また、ガラス板で隔てられた中庭からはチカチカと明滅する閃光が時折放たれるが、これは周期的に照明が作動するように調整したものだろう。今回の展示のモチーフは「雷」であるから、この照明が雷光を疑似体験させる装置であることは、まず間違いない。

焼成されていない粘土、インク
(右)未然のオブジェ《電波時計と電波時計》2026年
撮影 : 木川宗一郎

焼成されていない粘土、インク 2026年
撮影 : 木川宗一郎
ところで、雷という現象に対しては、多くの人が子どもの頃に不思議に感じた経験があるのではないか。稲妻がピカッと空に光ったとき、人は「雷が落ちた」と感知する。しかし、実際に雷鳴が轟くまでには数秒ほどのタイムラグが生じる。タイムラグが生じるのは、光が空気中を進む速度は音よりも速いからだ。そもそも雷とは、雲に蓄積した静電気が放電して、熱、光、音といったエネルギーを広範囲に分散させる物理現象なのだが、科学的知識をもって雷発生のメカニズムを確認したところで、タイムラグ(光と音のズレ)が引き起こす奇妙な感覚は理屈を越えて残存する。
大石の展示は、こうしたタイムラグがもたらす奇妙な感覚を鑑賞者に体験させるような側面がある。というよりも、タイムラグの亀裂のなかに鑑賞者を引きずり込む力があると言うべきか。同心円状の展示構成は、落雷=エネルギーの波及という物理現象を空間的なモデルによってあらわしたものと思われるが、中庭から光が放たれることはあっても、照恩寺の清廉な空間に「雷鳴」が鳴り響くことはない(たとえば、雷鳴らしき効果音を展示空間に流す、といった安易な演出を作家は行っていない)。落雷という物理現象を宙吊りにするかのように、辺り一帯に満ちるのは静寂ばかり。音はいつまでも光に追いつかないのだ。ここに生まれるのは、稲妻は光れど落雷の実感は得られないという、時間と空間が引き延ばされていくような弛緩した感覚である。
未然のオブジェ《生活用品と食料品とふたつのレシート》、未然のオブジェ《巨大樹の種とシャーレとジャグリングとハーモニカ》、《雷》サイズ可変 ストロボ 2026年 撮影 : 木川宗一郎
大石は詩の支持体となる粘土を焼成せずに提示する。乾ききらない半生の粘土はまさに引き延ばされた時間の表徴である。では、この引き延ばされた時間と空間のなかで、鑑賞者は何と出会うのか。それはオブジェの目線から記述された世界像である。試みに、粘土に刻まれた詩の内容を拾ってみよう。電波時計の針たちの0.5秒のズレをめぐる会話。なくなれば買い足される消耗品の終わりなき日常と、レシートに転写されたその記録。自身を黒鉛で汚しながら影の世界と交わる消しゴム。そして、干からびることを待つ粘土。これらの詩は、円環的な時間のなかに身を置きながら、いつか崩壊や消滅(物理現象の収束)が訪れることを希うオブジェの私的言語といった趣きをもつ。詩を読む者は、オブジェの目線を借りて、人間には観測できない物理現象の新たな様相を発見するのだ。

《生活用品と食料品とふたつのレシート》
2026年 撮影 : 木川宗一郎

焼成されていない粘土、インク (左奥)
《雷が見る、段ボールの束と電源ケーブルと絵本》
和紙にインク・粘土を拓採り 2026年
撮影 : 木川宗一郎

和紙にインク・粘土を拓採り(部分)2026年
撮影 : 木川宗一郎
大石はさらに、粘土に刻まれた詩の一部にインクを塗布し、拓本の要領で詩のなかの漢字を和紙に転写させた。雷、傘、器、音、間、突、小、品、暮──。転写された漢字が左右対称のものばかりなのは偶然ではない。転写という、左右反転を伴う操作を経てもなお、平衡を維持する字型だけが意図的に選ばれているのだ。軟らかい粘土に手作業で刻まれた文字に耐久性はないが、和紙に転写された左右対象の文字だけは幾ばくかの安定性と判読性を保ち、未来の読み手に向けて延命する。断片的ではあっても、これらの漢字は落雷という物理現象の痕跡として、つまりは光の産物として、より先の時間、より遠くの空間までエコーを響かせうるだろう。
なお、今回の展示で粘土に刻まれた詩は、本展企画者のoar pressがChop the Light Publicationsと共同出版で刊行した詩集にも掲載されている。それ自体がひとつのアートワークと言うべき、大石のコンセプトを体現した攻めのデザインによる冊子だ。実りあるコラボレーションに、メディアを超えた実験精神の波及ぶりを見る思いがする。
大石一貴「光 ] でもってすべて見 ) つくす、音 ) とどくとも。)」|照恩寺|2026年1月17日 – 3月29日
中島水緒:美術批評。主な近年の執筆に「前衛・政治・身体──未来派とイタリア・ファシズムのスポーツ戦略」(『政治の展覧会:世界大戦と前衛芸術』、EOS ART BOOKS、2020)、「無為を表象する──セーヌ川からジョルジュ・スーラへ流れる絵画の(非)政治学」(『美術手帖』2022年7月号)など。
