「Don’t Follow the Wind」が始まってから11年以上経っている。「Don’t Follow the Wind」は福島の帰還困難区域を舞台とした国際展であり、其処には12組の参加アーティスト-アイ・ウェイウェイ、グランギニョル未来、小泉明朗、タリン・サイモン、竹内公太、竹川宣彰、ChimPom from Smappa!Group、ニコラス・ハーシュ&ホルへ・オテロ=パイロス、トレヴァー・パグレン、エヴァ&フランコ・マッテス、宮永愛子、アーメット・ユーグ-による、当初、新作として制作されたサイト・スペシフィックな作品が展示されている。読者は毎月「GUIDE」に掲載されている沢山のギャラリー名の間に「Exclusion zone for the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant incident東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域内某所」と記された、明らかに異様な名を認識しているかもしれない。

国際展と言っても帰還困難区域にあるので、展示はされているが、公開はされていない。展示を観者が自由に観に行くこともできない。11年以上にわたってDon’t Follow the Windコレクティヴ、そして移住を強制させられた協力者達によってその閉ざされた展覧会は維持され続けている。私は以前、 同展覧会の時間性をジョン・ケージ の639年間演奏される予定である《Organ2/ ASLSP (As SLow aS Possible) 》(1987) と比べたが、これからも展示がいつ公開されるか分からずに年々行われている維持作業は正に想像を絶する試みである。奇遇にも私はDon’t Follow the Windに関してまず2016年3月、そして2022年11月に再び本誌の英語版で特集記事を書いたので、同展覧会を取り上げるのは本稿で三回目になる。今回はプリツカー賞受賞建築家である磯崎新のデビュー作「新宿ホワイトハウス」にて9月20日から9月27日の間、上映された竹内公太監督の約30分のビデオ作品《木の家》Wooden House (2025)を検討したい。
当日上映会にいらしていた作品の題名にある「木の家」の家主であり、作中でインタビューを受けている避難者の方は、作品上映後、「東京では窺い知れないこともあると思うが、知っていただければ幸いと思い」協力していると説明なさっていた。そして監督の竹内は、同作をDon’t Follow the Windに対する長期の関心を推進するために作った映像作品だと言っていた。Don’t Follow the Windは東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域の存在の風化を防ぎ、特に移住を強制させられた人たち以外の記憶を助けるニーモニックな装置としての役割を兼ねている。しかしながら、ただ「観に行けない現代アート展」というだけでは珍しさが主なトリになる危うさもあり、長期的な注意と関心を保つ為、竹内は普遍的な「家」、そして「家族」を題材とした作品に仕上げたとさらに説明していた。

デジタルヴィデオで撮影された映像は解像度が高く、パキッとしている。固定カメラで撮られた画は構図、光量、そして色を吟味して創られた写真の様でもあり、全体的に暖かい印象を与える。被写体はインタヴュー内容に合う様に竹内が訪問し撮影した表題の木造の家とその周辺の山である。Don’t Follow the Windの題材を念頭に置くと、若松孝二監督『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』(1971)や足立正生監督『略称・連続射殺魔』(1975)の様な風景論映画を想像しそうであるが、《木の家》Wooden House は継続時間を意図的に感じさせる様な映像ではなく、綺麗で鑑賞しやすいBロール的な画で構成されていた。能記として機能する映像と、その所記として、映像に意味を与える音声の関係性が固い為、何を見せられているのかという疑問は湧き得ない。このような透明性はわかりやすい一方、見方によっては、観られない、経験できない中で作品の存在を想像することを要し、流れてきた情報を疑うようにオーディエンスを促す展覧会Don’t Follow the Windの意図とは少しズレがある様にも思える。
しかしDon’t Follow the Windの面白さの一つは時間と共に多岐にわたる重点であり、このズレも多くの観者へアピールするための意図的な判断の結果だろう。最初に福島の帰還困難区域にDon’t Follow the Windを観に行った時、私は地域や協力者たちが展示に提供している住居の状態や、地域に入るために要される過程-スクリーニング場に行き、防護服を纏い、線量計を受け取り、ゲートを開いてもらい、一時立入する-に大きなショックを受けた。今でも住民は帰還困難区域に一時立入する際には毎度同じプロセスを経験しなければならないし、それがショッキングなことは変わらない。Don’t Follow the Windの一部として初めて公開された作品-小泉明郎の《home drama》(2022)を観た時、同時に上映されていた実行委員会作の映像作品《ノン・ビジターセンター》(2022)では、人間の観者は居ない中、地域の生態系は変わり、非人間動物が展示作品のオーディエンスとなっている事情が伝えられていた。そして今回はよりマスに響く様に創られたドキュメンタリー作品によって移住を強制された二人の住人の声が拡散された。

同作の映像の様式美とは対照的に、音声には不調和が記録されている。今後木造の家をどうするべきかを、配偶者と思われる男女二人が討論しているのだ。夫と思われる方は父と祖父が山から伐採した木で建てた家を保存したい。夫人と思われる方は嫁ぎに来てはじめて経験したほどの田舎の山の中に建つ、今となっては遺棄されてしまった家を、可能なうちに公費解体してほしい。特に子供たちに負債を引き継がせたくないと訴えている。夫と思われる方は解体するかどうかは除染してから決めたい。そして家を子供達に託したい。これは差し迫った現実問題である。11年以上も移住先で暮らしたあと、置き去りにされた家や故郷とはどの様な意味を持つのか?更地にされた故郷はどの様な所記を持ち得るのか?
それらの問題の切実さには共感しつつも、一つの映像作品の観者として私は配偶者と思われる男女二人のコミュニケーションの取り方に想いが募った。夫人と思われる方は夫の意見にはっきりと反対しているのだが、その伝え方は毎回異論を濁す様に笑いを交えていた。そして夫と思われる方は夫人の反対には耳を貸さない様であった。家制度とその残像に苦しめられている人も多くいるので、私は「家」や「家族」が普遍的だとは思わない。ただ深刻で大きな問題ほど話し合うことが困難なのは普遍的な経験だろうと思う。そしてこの福島の東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域の家とカップルの問題は移住を強制された方々の間では共通する問題なのだと察する。

2というのはあまりにも小さい個数だが、四年前に観た小泉明郎の《home drama》で録音された、移住を強制された男性が想像する配偶者と家に戻ったときの会話でも、夫と思われる男性は家に留まりたい、夫人と思われる女性は明日になったら移住先に戻ると訴えていた。ただ其処での会話には男性の声しかなかった。《木の家》では女性の声も聞こえる。制作提案当初、竹内は男性の方だけをインタビューする予定であったが、《木の家》でインタビューされている配偶者と思われる女性が、「ちょっといいですか。…男性だけで作るんですか?」と介入したそうである。本作品に関してはこのツッコミが最重要だったのではないか。原発事故、放射能汚染、帰還困難区域、という多角的な問題に相応しく、声を発しにくい人たちの声を拡大することは、Don’t Follow the Windへの関心を維持し、拡散するために最も有効な手段だと思った。
