広告

clockwork──
非同期のスペクトラリティ

セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 - 4月25日 撮影:髙橋健治

残余と遅延がひらく、複数の現在

真っ白な展示空間の床に点在する重ね置かれた断片的な構造体。その異形な接続と質量を取り囲む壁面には、遺物を切り取ったような白黒の写真が配置されている。奥の部屋では、キャンバス地が剥き出しになった絵画が壁の上部から地面へと重力に引かれるように垂れ下がり、滲み出す淡い肌色の色面と曖昧な輪郭が、風化した壁画のようにその場に留まり続けている。

タカ・イシイギャラリー京橋で開催されているセル・セルパスとラフィク・グレイスによる二人展において、最初に経験されるのは、配置そのものが生み出す不整合である。物質、イメージ、痕跡は同一の位相に存在せず、それぞれが異なる時間と起源を引きずりながら、同期しないまま同一空間に置かれている。それらは明確に分離されているようでありながら、互いに参照し合い、ゆるやかに干渉している。

展覧会タイトル「clockwork」という語が本来示唆するのは、精密に噛み合う時間と運動の秩序である。しかし本展において提示されているのは、そのような均整の取れた機構というよりもむしろ、噛み合い損ねた歯車の連なり、あるいは同期することのない時間の運動のようだ。統合へと向かわないその関係は、観者の視線や身体の移動をも巻き込みながら、意味や時間のずれを生み出し続けてゆく。

セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 – 4月25日 撮影:髙橋健治

不安定な生成  

この非同期的な時間の感覚は、セル・セルパスの作品において身体のあり方と密接に結びついている。造形から詩、パフォーマンスに至るメディアを横断するセルパスの立体彫刻は、都市の廃棄物といった消費の残滓を重ね合わせ、自身の即興的な身体を介在させながら再構成される。本展における彫刻も、日本で廃棄された事物を取り込みながら組み立てられた。それらは重力や接触に依存した不確定なバランスの上に置かれ、崩壊の可能性を内包したまま持続する。その関係のなかで、構造体は分離と接続のあいだに留まりながら、身体の延長として立ち上がる。

絵画においても、媒介されたAIや他者、過去の自身の身体イメージが擦過や圧着による痕跡として転写され、顔の不在や切断された四肢など、身体は断片として提示される。そこに現れるのは、統合された身体ではなく、複数のイメージが重なり合いながらも一致に至らない状態だ。身体は単一の同一性へと回収されることなく、未分の領域に留まり続ける。絵画もまた、画面の内部に閉じることなく、彫刻的な物質性へと変位しながら、展示空間自体の境界へと浸潤してゆく。

急進的な左翼労働運動の歴史を持つロサンゼルス・ボイルハイツで育ち、トビリシやジュネーブ、パリ、チューリッヒ、ニューヨークなどを移動してきたセルパスの実践の中心にあるのは、身体と都市、空間や事物のあいだに生成する過渡的な状態である。
既製物の残余を用いることや構造の露出という側面は、レディメイドやミニマリズム以降の物質の扱いを想起させるが、それらは制度的な転位として機能するのではなく、人間の使用や摩耗の痕跡、履歴を引きずったまま空間に持ち込まれている。そうした要素が残り続けることで、匿名的でありながら同時に過剰な情報を帯びた存在として立ち現れる。セルパスはまた、自身の不安や緊張、親密さといった感覚を、幼少期に見た映画やホラー的な視覚体験というフィルターも通して制作に投影する。映画を空間に潜む「気配」を知覚する装置と捉えるその手法は「亡霊のような彫刻」をも想起させる。この感覚は、空間や物質の配置のなかへ分散され、事物はそこで、純粋な記号へと還元されることなく、情動的な強度を帯びながら、意味から逃れた残滓として留まり続ける。

セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 – 4月25日 撮影:髙橋健治
セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 – 4月25日 撮影:髙橋健治

媒介の遅れ 

セルパスが即興的かつコリオグラフィックな介入によって、空間のなかに固定されない構造を露呈させるのに対し、これまで複数の協働を重ねてきたグレイスは、写真や拾得物を介して、イメージと物質のあいだに時間的な差異が作動する条件を開く。彼の作品において、出来事は直接提示されるのではなく、媒介され、遅れて現れる。

アイルランドに生まれ、イギリスやアメリカで教育を受け、出自のエジプトを含む複数の地域を横断してきた彼の移動的な経験もまた、特定の文化的・歴史的な位置に回収されない視点を形成している。そこで出来事は単一の現在として固定されることなく、複数の時間の層を引きずりながら、主体や起源への帰属を宙吊りにする。カイロの博物館で撮影された写真作品《three chambers》に見られる有機的な形態や、《braces II》が想起させる身体の残像、布に覆われた物体を写し出した《duvet》は、いずれも出来事そのものではなく、過ぎ去った後の異なる時間における、いわば事後的に与えられた生としての像だ。その荒くざらついた像の在り方は、セルパスが扱う亡霊的な物質性や気配ともどこかで響き合うが、グレイスのそれは空間的な配置ではなく、イメージの内部において遅延として作動する。

到達しない関係の持続は、2024年の映像作品《The Longest Sleep》にもみられる。夜を通して行われるスーフィー儀礼を映し出す本作は、循環的で時間を歪める体験としての超越に焦点を当て、日常から切り離された中間的な状態を生み出す。唾液や呼気といった身体の流出は、主体の統御を逸脱し、時間と身体が変質していく過程を露わにする。そこで前景化されるのは、身体の運動に伴って分配される情動であり、グレイスの作品は、そうした身体の残像を、存在と不在のあいだに引き延ばす装置として機能している。

セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 – 4月25日 撮影:髙橋健治

交錯:隔たりの近接 

あるインタビューにおいてセルパスは、マイク・ケリーとの接続について問われた際、自身の実践を単純な影響関係としてではなく、個人的記憶と社会的不安が交錯する場として捉えていた。ここで重要なのは、記憶や経験がそのまま再現されるのではなく、変形や反転を通して、不安定で複数的な生成の場をいかに開くかということである。本展においても、セルパスとグレイスの実践は相互に解釈を閉じるのではなく、異なる仕方で記憶や痕跡を引き受けながら、共通の意味へと収束しない関係をかたちづくっている。

セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 – 4月25日 撮影:髙橋健治

このような関係のあり方は、単なる形式的な差異にとどまらない。それは、単一の現在や固定的な帰属へと回収しようとする想像力そのものへの問いとしても現れている。セルパスが批評的に捉えるように、例えばソーシャルメディアにおいては、アイデンティティはしばしば利用可能な記号として流通し、複雑な経験や情動は単一のイメージへと圧縮されてしまう。だがセルパスの実践が向かうのは、そのような記号化のプロセスそのものよりも、それが消費された後に残る断片、痕跡、崩れの状態である。グレイスの実践においても、イメージはそうした回収を逃れ、遅れて現れ続ける。同時に、誰かに所有され、廃棄された物やイメージに向けられるグレイスの関心の背後には、移動や越境の経験だけでなく、所有やその痕跡をめぐる歴史的な力学もまた、かすかに沈んでいるように思われる。

セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 – 4月25日 撮影:髙橋健治

両者の実践が、所有や帰属、記憶をひとつのかたちへと定着させることを避け続けるものであるなら、そこで立ち上がる情動もまた、主体の内面をそのまま表現するものとしてではなく、関係の中に分有される強度として現れる。ここで示唆されるのは、固定された主体としての身体や明確な形象ではなく、断片や残像として現れる非一回的な身体である。それは接触や摩擦、あるいはその不在の中で感知されるが、同時に身体的な実感を完全には手放さない。過剰な消費を経た物質や身体、配置の中に沈澱し、あるいはイメージの遅延の中で持続しながら、痕跡や摩耗、接触の気配、残像や儀礼的な運動として作用する。こうした情動の分配は、主体を単一の表象へ固定しない匿名性の持続とも結びついている。

過ぎ去ったはずのものや未だ到来しないものが現在に回収されずに残留する、その亡霊的な現れ──スペクトラリティとしての非同期的な構造がここにはある。セルパスではそれが残余や物質の側にとどまり続ける亡霊性として、グレイスでは遅れて到来する像の側に宿る亡霊性として。前者が残ってしまったものの気配を引き受けるのだとすれば、後者は到来しきらないものの時間を抱え込む。こうした二つの亡霊性が交錯する場では、接触と分離、内と外、生と無生を隔てているはずの境界が、なお残りながらも安定を失う。そこにあるのは、一致ではなく、距離を残したまま近づき続けることの危うさであり、その不安定な近接がこの二人展特有のエロティシズムを生み出しているように思われる。融合に至らない接触、統合に至らない近接、完結しないまま残る関係──境界の揺らぎを抱えたその持続が、この展示に固有の詩情と不穏さを帯びた感触をかたちづくっている。

セル・セルパス&ラフィク・グレイス「clockwork」
展示風景 タカ・イシイギャラリー 京橋 2026年3月21日 – 4月25日 撮影:髙橋健治

展覧会タイトル「clockwork」について、セルパスはニューヨークで行きつけのバーの名前でもある、と笑った。その由来の軽やかさは、本展の構造にとってむしろ示唆的である。ここで作動しているのは、精密に噛み合う秩序だった機構ではない。ずれ、遅れ、残されたものと到来しきらないものとが、なお絡み合いながら続いていく運動である。clockwork とはここで、整合の名ではなく、不一致をなお作動させ続ける形式なのである。


セル・セルパス&ラフィク・グレイス 「clockwork」は
2026年3月21日(土)– 4月25日(土)まで、Taka Ishii Gallery で開催。


最新記事

広告
広告

We use cookies to understand how you use our site and to improve your experience. This includes personalizing content. By continuing to use our site, you accept our use of cookies, reviised Privacy.

arrow-leftarrow-rightblueskyarrow-downfacebookfullscreen-offfullscreeninstagramlinkedinlistloupepauseplaysound-offsound-onthreadstwitterwechatx