広告

池田亮司「sleeping beauty」──崇高と日常と快楽

©︎Ryoji Ikeda Courtesy of TARO NASU

池田亮司の作品には畏怖のようなものを感じてしまう。何か素晴らしい、超越的なもの。TARO NASUで2026年5月6日から6月6日まで開催されている展覧会「sleeping beauty」は最新映像作品《data.graph》などを含む約20の作品群から構成される。

Ryoji Ikeda, data.graph [n°1], 2026 LED monitor displays, computers Monitor: 57.1 x 96.6 cm each, a set of 3, duration: 48 seconds continuous loop ©︎Ryoji Ikeda Courtesy of TARO NASU Photo by Keizo Kioku

《data.graph [n°1]》(2026)は、生物学的情報を3つの異なるグラフィカルな形式に変換した映像作品である。3つの画面には数字や数式が表示されているが、高速で移動しているので、認知することができない。モニタに流れる情報が何を意味しているのかさえ、会場で配布されている資料を読まなければわからない。しかし、数字は規則的な電子音と連動して動いており、感覚的な快楽がある。

展覧会の表題作《sleeping beauty》(2025)シリーズは125万桁を超える一つの数を、アルミニウム上にプリントアウトしたもので、数字は相当近づけば、かろうじて読むことができるくらいである。その数式が何を意味するのかを我々は知ることはない。しかし、プリントアウトされた数字の規則的に並ぶさま、表面の灰色の光沢は美しい。池田の作品を通じて我々は決して認知できず認識もできないものを想像するかもしれない。それは超越性や畏怖の感覚、つまり「崇高なるもの」と結びつく。哲学者のイマヌエル・カントは『判断力批判』(1790)において、私たちが想像できないくらいに大きなものや途方もないような無限の数のことを「数学的崇高」と分類した。《data.graph [ n°1]》の高速で移動し、認知も理解もできない生物学的情報や《sleeping beauty》のような途方もない桁の数字は、カントが論じたような「数学的崇高」の概念と近いように思われる。

Ryoji Ikeda, sleeping beauty (the unknowable irreducible) #1-1a, 2025 sleeping beauty (the unknowable irreducible) #1-2a, 2025 sleeping beauty (the unknowable irreducible) #1-3a, 2025 UV print on aluminum 100.2 x 100.2 x 5 cm ©︎Ryoji Ikeda Courtesy of TARO NASU Photo by Keizo Kioku

わたしはもっとも身近な日常を扱う研究者で、ジェンダーやセクシュアリティについて大学で教えている。ジェンダーやセクシュアリティは単なる概念ではなく、日常生活のなかで私たちが否応なく体験してしまうものである。例えば、私たちは男性に見える人物の恋人を「彼女」、女性に見える人物の恋人を「彼氏」と呼んでしまうことがあるが、それはその人物が異性愛者ということを前提にした発言である。異性愛以外のセクシュアリティの者は、こういったコミュニケーションが続くと、この世界に自分の居場所がないと感じるかもしれない。

こう考えると、並べるのも畏れ多いが、わたしの立ち位置と池田の立ち位置は真逆ともいえるかもしれない。わたしの博士論文と単著は古橋悌二とダムタイプによるパフォーマンス・アート《S/N》(1994)を対象としたものである。池田亮司は古橋の死後、《OR》(1998)より本格的にダムタイプに参加した。《S/N》のCDにはクレジットされているが、パフォーマンス・アートの映像資料にはクレジットされていない。わたしはオーラルヒストリーの手法を用いていたので、《S/N》に参加したアーティストにはできる限りインタビューを行っていたが、池田には行っていない。《S/N》はセクシュアリティやHIV/AIDSを扱った作品で、古橋は『メモランダム 古橋悌二』で《S/N》に関して「私の目的は芸術と実生活の間の境界を壊すことでした。これはアカデミックなやり方ではなく、実生活の中で生身のことばを使って議論されるべき問題です」と述べている。《S/N》に強く惹かれたのは、古橋が述べたような特徴があるからかもしれない。

一方で、《S/N》に池田の作品との共通性があることに気づいた。わたしはこれまでに十分言語化できていなかったが、それは感覚的な快楽である。音や光、映像による感覚刺激がたまらなく心地よい。《S/N》であればシーン1の照明が明滅し、ダンサーの動き、音楽の激しさが最高潮に達する場面である。山中や古橋が強く影響を受けたとするクラブの感覚にも似ている。

池田も東京都現代美術館で開催された展覧会『池田亮司 +/- [the infinite between 0 and 1]』カタログの浅田彰との対談でこう述べている。「作品を観るのって、言ってみればライヴのようなものです。ライヴは、聴いて、感じるのが最初で、メロディの意味とかを考える前に体験が先にきますよね。同じように、そこにある数字の意味を訊ねる前に、まずは感じて、音楽的に接してほしいということなんです。」

池田亮司の作品をみるとき、まず「崇高なるもの」を感じて圧倒されるという経験をしてほしい。しかし一方で、池田が先に述べたようなもうひとつ別の回路もある。《S/N》シーン1のような感覚的な快楽である。認知も理解もできなくとも、モニタの数字や数式の動きと規則的な電子音のシンクロを楽しむことができる。整然と並んだ極めて細かい数字の端正なさまに見惚れることもある。


池田亮司「sleeping beauty」は2026年5月9日(土)から6月6日(土)までTARO NASUで開催。


竹田恵子:東京外国語大学専任講師、ジェンダー/セクシュアリティ研究。博士(学術)。主な著作に『生きられる「アート」―パフォーマンス・アート《S/N》とアイデンティティ』(単著、ナカニシヤ出版、2020年)、『MCDA入門―メディア・コンテンツを読み解く批判的言説分析』(共著、ナカニシヤ出版、2025年)など。

最新記事

広告
広告

We use cookies to understand how you use our site and to improve your experience. This includes personalizing content. By continuing to use our site, you accept our use of cookies, reviised Privacy.

arrow-leftarrow-rightblueskyarrow-downfacebookfullscreen-offfullscreeninstagramlinkedinlistloupepauseplaysound-offsound-onthreadstwitterwechatx