ジョナス・メカスと吉増剛造の長年の親交の軌跡を垣間見る展覧会が、東麻布のタケニナガワで開催されている。
小雨の降る中、寒暖の曖昧な季節の湿気を浴びながら、会場に到着した。

階段を上った二階の入口で、担当のTさんがメカス来日時の映写の準備をしていた。奥に目をやると、連作詩『怪物君』(2014–2015)が展示されている。吉増さんが東日本大震災後、びっしりと極小の字で、読めるか読めないかの詩を書きはじめ、そこに盲いてインクをこぼし、ハンマー(あるいは玄翁というべきか)で叩いた作品である。死者との交換を思わせる呪詛のようでいて、妙な清々しさを持っている。ここでは「詩」は宙づりになって、行き場もなく蠢いているのだが、色彩は華々しい。おぞましい原発事故の地・浪江町で、「こころが納得していないんだなぁ」と呟いた詩人による『怪物君』は、ジョナス・メカスの映像の「震え」にもリンクしているように思える。

上映の準備が整い、《On My Way to Fujiyama I Saw…》(1996)がはじまった。1983年と1991年にジョナス・メカスが来日した際、ボレックス・カメラによる16mmフィルムで撮影した26分の作品である。1983年には原美術館で「アメリカ現代版画と写真展ージョナス・メカスと26人の仲間たち」の展示があり、富士山へ向かう旅をした時の撮影だと思われる。1991年には帯広から山形、そして銀山温泉から新宿までが映されているのだが、とりたてて説明はなく、生き生きとした断片が、揺れる映像とともによみがえる。時おり、詩人の鈴木志郎康さんや吉増剛造さんの姿を認識できる。
会場のTさんに「メカスのカメラってアリフレックス? それともボレックス?」と訊くと、「ボレックスですね」と、すぐに返事が返ってきた。

16mmカメラの機種について、ぼくが知ったかぶりをしているのは、ぼく自身も映画学校で撮影を勉強してきたからだ。メカスが支えた実験映画のスタン・ブラッケージやケネス・アンガーをよく観ていたし、中学生の頃にはフジカシングル8で1970年の万博を撮影したり、日記風の家族映画を撮ったり、スクラッチングで遊んだりしていた。
そんなわけで、メカスのプライベートな手法には、とても親近感を覚えるのである。
書肆山田刊『ジョナス・メカス詩集』のあとがき「メカス追悼」に、吉増さんはこう書いている。「観客の一人がメカスに質問した。『Why is your movie so shaky?』(なぜ、あなたの映画はこんなに震えているのですか?)メカスは帽子を取ってお辞儀をし、口ごもりながら答えた。『Yes, because my life is shaky.』(それは私の人生が震えているから)」
スクリーンの裏側には、吉増剛造によるメモのような呟きの走り書きがポラロイド写真に記された作品『瞬間のエクリチュール』が展示されていて、それはメカスの日記映像に呼応するように置かれている。

この展覧会のオープニングでは、薄い銅板を床や台に置き、彫刻家・若林奮から譲られた鏨(たがね)とハンマーを使って、「Mekas」と打刻したようで、その銅版が細長く展示されていた。言葉を金属へ“打ち込む”行為は、死者との対話そのものなのだろう。
ほかには、《Summer Manifesto》(2008)というプリント作品と、ジョナス・メカスの影響から始めたgozoCinéなる短い映像詩、《A Cardinal》(2014)、《Flowers》(2014)、《Crickets》(2017)の三篇を鑑賞することができる。
ぼくはニューヨークへ行くと、たいていメカスが創設したアンソロジー・フィルム・アーカイヴスに通っていたので、ジョナス・メカスと吉増剛造の親交を、少し羨ましく思った。
「ジョナス・メカス / 吉増剛造」は2026年5月16日(土)から7月11日(土)までタケニナガワで開催。
巻上公一:歌手、詩人、即興演奏者。1978年からヒカシューのリーダーとして活躍。2019年末 詩集「至高の妄想」を刊行。2020年に第一回大岡信賞受賞。2024年Foundation for Contemporary Arts 2024アーティスト賞受賞。2025年第3詩集「眼差(まなざし)から帰還する」(左右社)を発表。
