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「Dialectical Landscape / 弁証法的風景」──凝視と揺動のあいだで

百頭たけし《無題》2025年 ピグメントプリント 画像提供:Art Center NEW

近年、大地や環境と人間の関係を問い直す展覧会が国際的な広がりを見せている。森美術館「私たちのエコロジー」展(2023-24年)は人新世の危機と現代美術の関係を検証し、トロント大学美術館「Earthwork」展(2025年)は1960-70年代のランド・アートが普及させた「アースワーク」という概念を先住民の視点から奪還し再定義した。ビルバオ・グッゲンハイム美術館「Arts of the Earth」展(2025-26年)は、土壌とその構成要素の持つ創造力に応答してきた芸術実践を環境サステナビリティの枠組みから再解釈した。同展が示す通り、こうした問題意識は彫刻、建築、デザイン、造園といった領域を横断しており、MoMA「Down to Earth」展(2024年-)もまた同じ地平にある。これらに共通するのは、エコロジー危機、モア・ザン・ヒューマン、サステナビリティといった今日的な社会的・政治的問題系が、展覧会の枠組みを方向づけているということだ。

淺井裕介《114層の日本の地層》2026年 木パネル、土、弁柄、炭、鉛筆、アクリルレジン 画像提供:Art Center NEW

Art Center NEWで開催中の「Dialectical Landscape / 弁証法的風景」展(キュレーター:秋葉大介、コンセプト原案:平倉圭)は、こうした展覧会群との同時代性を感じさせる。ステートメントは「アースワーク」を1960年代以降のランド・アートに限定せず、「堆積、浸食といった大地自体の造形作用と、掘削、埋戻しといった人間の造形作用が応答し合う場」と定義し、土木構造物をも射程に含める。しかし本展では、そうした社会的・政治的論点が前景化することはない。風景に対する知覚の経験が意識化されることで、展覧会の問いかけはより開かれたものになっている。タイトルの出典であるスミッソンのテキスト「Frederick Law Olmsted and the Dialectical Landscape」(1973年)は、18世紀英国のピクチャレスクの弁証法を物質的な大地に根ざすものとして読み直し、オルムステッドによるセントラルパーク造成を、自然と人為が物理的に交渉する場として記述した。本展が引き受けるのは、この物理的弁証法の方である。秋葉は、地下鉄に沿って造られた極端に縦長の空間である新高島駅構内の会場それ自体も、動き続けるひとつのアースワークとして捉えている。

吉川陽一郎《たからもの》1980年代~2026年 見つけたもの 画像提供:Art Center NEW
Roger Ackling《Voewood》2004年 木材に太陽光 
直径2.5cm Collection of CW McDonald 画像提供:Art Center NEW

受付がある右側の空間には、百頭たけし、吉川陽一郎、淺井裕介、ロジャー・アックリング、永田康祐、伊阪柊、ロバート・スミッソンの作品が並び、歌川広重の版画や明治期の高島町写真といった非作品の資料も配されている。メディアのノイズや干渉が抑えられ、断片化されたオブジェや風景を静的に凝視する余地がある。吉川の木棚にガラス瓶で分類された拾得物は、ゴミとも呼びうるものの収集を美的秩序として提示する。アックリングもまた拾得した漂流木を素材に、太陽光で微小な痕跡を焼き付ける。対して百頭の写真は、社会から不可視となった場所で資源ゴミの山の中心に大黒天や布袋の彫刻が配された光景を映し出す。聖と俗、資源とゴミが混濁する状況が冷静な画面に定着されている。淺井の出品作には、ラダック地方の寺院所有地に約4,600個の日干しレンガで制作された地上絵のドキュメントや、土の色彩が水平に積層する地層的な絵画などがあり、絵画制作の条件をスケールにおいても素材においても拡張しながら、難解さを押し付けない絵画的イメージの親しみやすさを保ち、NPOとの協働や植樹といったソーシャルな領域にまで足を踏み入れている。永田や伊阪、百頭、淺井の映像もまた、ドローン撮影やCGなどによる滑らかな視点移動によって対象を凝視可能な状態に保つ。広重や明治期の資料を含め、風景と歴史をよく観察し調べるという態度がこの空間に通底しており、永田の《Sierra》(2017年)──macOSの名の由来となった山脈の歴史をたどり、デスクトップの「背景」を「前景化」する──はその象徴的な一作である。

百頭たけし《無題》2018年 ピグメントプリント 画像提供:Art Center NEW

左側の空間には石﨑朝子、高橋臨太郎、都市と芸術の応答体(RAU)の3組が展開し、知覚の質が変わる。石﨑の作品では砂をかき出す音やストロボの光、手持ちカメラの揺れがメディアを前景化させる。その行為は形を生み出すよりも消し、削り、見えなくさせる──非生成的なカービングとでも呼ぶべきアクションであり、ノイズ・痕跡こそが彫刻となる。都市や風景のなかでクズ、摩擦、画面の揺れが前景化する。高橋は彫刻的な自作楽器を用い、船上から両岸の風景に反応しながら電子音を生成するパフォーマンスの映像を出品している。彫刻と楽器、造形とパフォーマンスのハイブリッドが、風景のなかで風景に抗うように響く。RAUの展示では映像やメールなどの異なる時間と文脈を持つ資料体が地層のように重なり合い、その全体の連関は把握しがたく、私たちは表面をすくい取ることしかできない。この空間では3組の作品が音や風や光を介して互いに干渉し合い、扇風機の音を含む環境的ノイズが、個々の作品を超えたメディア的介入として作用している。それは必ずしもネガティブなことではない。右側に配されたスミッソンの映像においてすでに、《スパイラル・ジェティ》(1970年)を記録するヘリコプターの不安定な飛行が風景の把握を揺さぶり続けていたように、安定したパースペクティブが奪われた中で風景を見ようとする経験がここに生まれている。

石﨑朝子+加藤広太《Voice Cleaning》2024年 マルチチャンネルビデオ 映像 1-2分×16台 画像提供:Art Center NEW
高橋臨太郎《Da thing》 2026年 映像スチル 画像提供:高橋臨太郎、Art Center NEW

スミッソンは右側に配されつつ、両極の中間に立っている。アースワークの形が映し出される点で右側の凝視可能性を共有しつつ、映像を介してサイトを見る構造的距離が意識される。タイトルの出典でありながら、起源や権威としてではなく、二つの知覚条件のあいだの通過点として機能している。

都市と芸術の応答体《RAUセレクション》インスタレーションビュー 画像提供:Art Center NEW

もちろん、この左右の差異による整理は展覧会の経験を尽くすものではない。しかし、静的な展示や滑らかなメディアの運動を通じて風景や歴史を凝視する空間と、ノイジーなメディアやマテリアルの相互干渉によって鑑賞者の知覚が揺さぶられる空間──この二つの展示室が作り出す弁証法的風景こそが、風景、物質、歴史、身体、メディアの関係性をマッサージし、とらえ直すものになっている。


「Dialectical Landscape / 弁証法的風景」展は、2026.06.20(土)から 8.16(日)まで、Art Center NEWにて開催。


石川卓磨:美術家、美術批評家。「蜘蛛と箒」を主宰。沢山遼・渡辺泰子との三人によるポッドキャスト番組「日々美術」の制作・配信や、ウェブメディア「蜘蛛と箒通信」による批評活動・運営などを手がける。主な執筆に連載「クリティカル・シーイング」。αMプロジェクト2023–2024「開発の再開発」ゲストキュレーター。

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