「月を射る」展においてとりわけ印象的なのは、過去の人物や出来事が、まさに現在のことであるかのように立ち現れ、過去と現在が重なり合い反転していく様である。実際、本展の出品作品は、アジア・太平洋戦争以前から戦時下にかけての過去の出来事や人物を主題としたものが多い。いくつか例を挙げてみれば、本展のタイトルにもインスピレーションを与えた尹東柱は日本留学中の1943年に治安維持法違反の疑いで逮捕され、終戦の約半年前に福岡刑務所で獄死した詩人である。また、本展で舞踊の映像が紹介されている崔承喜は、モダンダンスと朝鮮舞踊を融合した独自の表現で戦前から世界的に活躍した朝鮮出身の舞踊家であり、ガタロの絵画は戦時中人体実験を行った731部隊を扱っている。

しかし本展では、こうした出来事は決して私たちとは無関係な遠い過去としてではなく、現在へと連続するものとして提示され、それによって現代そのものが問い直されている。このことを象徴的に示しているのは、藤井光の《帝国の教育制度》(2016年)だろう。本作は、アメリカの陸軍省が制作した資料映像『日本の教育制度』をときおり引用しつつ、その映像に登場する戦前の日本の小学生たちによる行動などを現代の韓国の学生たちに再演させ、昔の小学生と現代の学生を交互に映し出すことで、過去と現在との重なり合いを文字通り提示しているのである。

さらに、亀井文夫と吉見泰による『日本の悲劇』(1946年)では、資本家が労働者を低賃金で酷使した結果、労働者の購買力が低下し、国内市場が貧弱化したため、新たな販路を求めて海外市場への進出が図られたという話が語られ、井上莞の『空の少年兵』(1940年)と厚木たかの『わたし達はこんなに働いてゐる』(1945年)では、少年たちが軍事訓練に一生懸命励み、若い女性たちが軍服の製造に一心不乱に従事する姿が描かれる。これらの映像は、低賃金のもとで「働いて働いて働く」ことを強いられる現代の労働環境や、そのような不安定な労働条件のなかで人々がナショナリズムへと動員されていく今日の状況を想起させる。いずれも80年ほど前に制作された白黒の映像ではあるが、まるで現代の出来事であるかのようなリアリティを帯びており、私たち観客は否応なくそれらを現在と重ね合わせながら見ることとなるのだ。

したがって、本展を貫くのは、過去と現在のあいだに断絶や進歩を見出し、現代を戦前とはまったく異なる時代と捉えるのではなく、両者の連続性や共通性を認め、過去のうちに現在を読み取る歴史観である。ここで重要なのは、このように過去と現在との連続性を見出すことは、過去をきちんと記録することによって初めて可能となるということだ。朝鮮人を含む、北九州で製鉄業に関わった人々による証言を綴る山本聖子の作品、被差別部落の人々による闘争や広島の被爆者を描く森田玲音の絵画、強制撤去された朝鮮人追悼碑を展示室内に再現する白川昌生のAR作品は、公的な記録から消されてきた人々の記憶を、検閲をも乗り越えて現代において記録しようとする行為であると言えるだろう。だが、過去と現在とのあいだに連続性を認めるこの歴史観は、戦前に回帰することで過去と現在を一致させようとする思考とも、歴史を同じことの反復として捉え、いかなる変革の可能性をも否定するペシミズムとも異なる。過去を記録し、そこに現代との連続性を見出すことによってこそ、その連続性を断ち切り、そこから脱却する可能性も開かれるのである。

本展において、一見場違いに思えるほど明るい雰囲気のTTタケモトの《Looking for Jiro(ジローを探して)》(2011年)はまさに、過去と現在との悪しき連続性を認識しながらも、それを断ち切り、新たな未来を切り開く希望を提示する作品である。以下、菅野優香「クィアな日系アメリカ人の歴史を書く――TTタケモトの実験映画」(『移民・難民・アート』所収)を参照しつつ、本作を検討したい。本作は、実在した日系アメリカ人ゲイ男性、ジロー・オオヌマを主題としている。日本軍による真珠湾攻撃後、ジローは他の日系人と同様に、ユタ州の日系人強制収容所へ送られ、収容所内の大食堂で働いていた。作中では、日系四世のクィア・アーティストであるタケモトが、大食堂で働くジローを独自のやり方で再演するパフォーマンスと、日系人強制収容所の様子を伝える映像や写真などが織り交ぜられている。ここでもまた、そうした過去と現在との重ね合わせからは、日系人をはじめとする有色人種が現代のアメリカ社会において置かれている状況と過去との共通性や連続性を見て取ることが可能であろう。
だが、本作はそうした連続性の指摘にとどまらない。後半部には、ジローが性的な憧憬を抱いていた筋骨隆々なボディビルダーの映像が提示されるとともに、それに対抗するようにして、タケモト扮するジローが、自ら捏ねて焼いたパンを筋肉のようにして腕にまとわせるシーンが登場する。ボディビルダーの白い堅固な筋肉に対して、タケモトが差し出すのは、褐色の柔らかいパンの筋肉である。つまり、タケモトは、過去と現在との連続性を認めた上で、オルタナティブなクィア的男性性を現在において提示し、そうすることによって過去と現在との連続性を打ち破り、別様の未来に対する希望を示していると言えよう。「月を射る」展は、私たちが現在置かれている苦境が過去と地続きであることを明らかにしながらも、現代に蔓延しているペシミズムへと決して回収されることなく、むしろ未来に向けた新たな可能性や希望を提示している点において貴重な試みなのである。
「月を射る」は2026年5月19日(土)から8月16日(日)までKAGで開催。
菅原伸也:美術批評・理論。コンテンポラリー・アート、そしてアートと政治との関係を主な研究分野としている。主な論考に「いかにしてアートでものごとを行うか——タニア・ブルゲラによる移民・難民関連プロジェクト」(『移民・難民・アート——越境する想像力』(ヘウレーカ、2026年))など。