「絶滅写真」という強烈なタイトルで、現代美術家・杉本博司の展覧会が東京国立近代美術館で開催されている。本展では、杉本の初期作品から現在までの写真作品が約60点展示され、杉本の写真作品の集大成となっている。
デジタル写真が普及した現在、フィルムや印画紙を使用する銀塩写真の文化は随分と痩せ細ってしまったが、杉本の半世紀にわたる作家活動は、この銀塩写真と共にあった。その銀塩写真を自らの手で終焉させるべく、展覧会「絶滅写真」を行うということだ。
杉本はこの展覧会を写真の「お葬式」と述べていて、最後の銀塩写真家として喪主を務めるという。これには筆者を含む、銀塩写真愛好家たちは面食らってしまったのではないか。銀塩写真は確かに絶滅危惧種になってはいるが、まだ多くの人たちによって普通に使われているため、最後の銀塩写真家として「写真」へのお別れを御大によって早々と済まされてしまうことに、多少の反発がある。
しかし、僕は展覧会を見て進んでいくうちに、このコンセプトも杉本らしい洒落のように思えてきたのだ。展覧会は3つの章、全13シリーズで構成されている。僕はとりわけ最初の章「時間・光・記憶」に注目した。ここでは杉本の初期作品にして代表的な作品群「ジオラマ」、「劇場」、「海景」の順に展示されており、入口のイントロダクションでは、若き杉本の美術家宣言が記されている:「その時、私の心にある野心が芽生えた。写真はアートではないと思われている。よしんばアートだとしてもアート界の二流市民だ。この二流市民を一流市民にしてみせよう。こうして私は写真を媒体として写真を裏切り、現代美術作家として世に出ることを決意した」。
作品を見る前のこの冒頭の言葉だけで、僕は妙に納得してしまった。杉本の「写真」のお葬式は、もうすでにこの時点で済んでいたのではないかと。
「ジオラマ」はアメリカ自然史博物館の展示である野生動物や原人などの情景模型を撮影した連作で、1975年から2025年までの間に7回にわたって撮影された。

大判のモノクロフィルムに写された人工模型の生物たちは、まるで生きているかのように見える。カメラはレンズの前のものを正確に記録するという一般的な認識を逆手にとり、模型という虚像を、写真の中で実像として見せていると言う。虚実入り混じるイメージを通じて人類史を見ていくと、僕は少し複雑な気持ちになっていく。それは動物園で猿やチンパンジーを眺めている時に、自分の姿や遠い親戚を見ているような、不思議でちょっと深淵な気持ちだ。
それと同時に、目の前の原始風景がどうも可笑しくユーモラスに見える。それはやっぱり模型だからだ。噴火する火山をよそに、原人のカップルが肩を組んで歩いているなんて、可笑しすぎる。そんな気分のまま、次の作品「劇場」へ歩いていく。「劇場」は映画一本分の時間を一枚のフィルムに露光した作品である。多くの写真は、1920年代頃、アメリカ各地に作られた豪華に装飾された映画館で撮影されたものだ。長時間露光によって、スクリーンは真っ白になり、そこに当たって反射した光によって、映画館内が浮き出されている。発光するスクリーンと、誰もいない静謐な劇場。その光景は、厳かで壮大な儀式が行われる会場のようにも見える。

その中に「廃墟劇場」と題されたシリーズがあった。これは名のとおり、廃墟になった映画館で撮影されたものだ。作家自身が映写機を持ち込み、朽ち果てた劇場に映画を投影して作られた写真だ。これを見ながら「あ~、ここが写真の葬儀場かぁ」なんて思い、まんまと杉本の術中にハマっていきながら、代表作「海景」に入っていく。

杉本博司を少しでも知っている人には説明無用な作品である。世界中の海を同じ構図で撮影したこの作品は、空と海を水平線が画面の真ん中で隔てている。空と海以外に何もない写真。このミニマルな写真をボケーっと眺めていると、だんだんと2つのイメージが「空」と「海」という漢字に置き換わっていく。
……空海。
そうか、この作品は弘法大師・空海への追想なのか。そう考えたところで、ふとこんなことも思う。杉本はまさか空海を演じているのではないかと。空海には信じられないような伝説がいくつも残っている。そんな空海と杉本をオーバーラップさせて「海景」を見ていると、撮影地のタイトルを全部入れ替えても観客には分からないだろう、なんて雑念が頭をよぎった。
杉本は「絶滅写真」というこの主題に人類の絶滅もかけていると言う。「ジオラマ」で人類創世の歴史を振り返り、「劇場」が時空間と文明の盛衰を語り、「海景」でどこまでも遠い時間や、あの世にまで思いを馳せるという流れで、第1章「時間・光・記憶」は終わる。3つの作品に壮大なコンセプトを凝縮し、「絶滅」というネガティヴなテーマを示唆しているにもかかわらず、そこに悲壮感はない。むしろ本展では、作品ごとに杉本による狂歌が添えられており、老境に入った杉本の軽みが滲み出ていて、変な感じだ。シリアスな写真の横に置かれた狂歌は、写真だけに没入しようとする者を宙吊りにする。そして、「絶滅」というこれ以上ないほど大きなテーマを、最後には狂歌にして笑ってしまう。
けだもののみちきわめきていまのひと
ひととは言えどいまもけだもの
– 素遁卿(すっとんきょう)
人類が絶滅すれば、当然、写真も絶滅する。そして、もちろん杉本自身もいつかは絶滅する。そう考えると、この展覧会は銀塩写真のお葬式というより、杉本自身の終活のようにも見えてくる。しかし、杉本は「忙しくて死んでる暇がない」なんて言っている。なんとも杉本らしい言い方だ。絶滅を予兆させながら、本人はまだまだ作り続けそうだ。杉本劇場は、まだ当分終幕しそうにない。
「杉本博司 絶滅写真」は、東京国立近代美術館にて、2026年6月16日–9月13日まで開催。
酒 航太:写真家・スタジオ35分主宰。1973年東京都武蔵野市出身、1997年 San Francisco Art Institute卒業。東京 新井薬師のギャラリー&バー「スタジオ35分」で写真を中心とした展示企画をしながら、自身の作家活動を国内外で行なっている。
